わたしの推しが死んだ日

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 私は夜乃に、あなたのいないドールズの日々は苦しかったよと伝えたかった。  たった数回だが、一人きりでステージの真ん中に立たせてもらったことがあるのだ。 「彩夏生誕祭」と銘打ったイベントで、振りもセットリストもコールも私仕様に作り替えた3日間だけの限定ライブ。リリカを休ませるためのアイデアでもあった。  私のファンだけではなく〈隣同士で踊る姿が見たい!〉とリリまどファンも押しかけて、チケットも即完売して大盛況だった。  でも私は怖かった。  いつも立っているステージが、位置がほんの少し前にずれただけで全く違う景色が広がっていたのだ。  そんなに見ないでと真剣に願った。  ファンから注目を浴びたくてアイドルになったはずなのに、なぜ苦痛を感じるのか自分でもわからなかった。当たり前だが誰もスマホなんか見ない。私が何か話すたびに、じいっと毛穴でも覗くぐらいの勢いでこちらを凝視された。  幕が開いて時間が経っても、私はこの真っ直ぐすぎる視線にいつまでも慣れることができなかった。  私の好きなオレンジ色で統一したというペンライトの灯りが、虫の蠢きのように見えて不気味だった。単純な振り間違いのミスを何度もした。  誰の肩越しでもなく、ファンの顔の一人ひとりの表情がくっきりと見えた。いつも温かい声援を送ってくれているはずの人が、ほんの少し退屈そうなそぶりや白けた表情を見せただけで、身がぎゅっと縮む思いがした。  愛想笑いの口元の皺までよく見えて、息がうまく吸えなくなって溺れそうだった。  生まれて初めて声援がひりひりと痛かった。立ちくらみのような感覚でふらつき、再度目をこらすと、今度は眩しくてライトの光以外は何も見えなくなってしまった。  これがセンターの視界か。  藁をもつかむ思いで私は、後ろにいたリリカを振り返った。目が合って助けを求めた時の彼女は、かなり不思議そうな顔をしていた。  鼻筋がすっときれいに通っている人だと思っていたが、ステージ上で見ると、シェーディングやハイライトが細かく入っているのがわかって、生まれたての美貌じゃなかったんだとはっとした。  恐ろしいものを見てしまった。  私はもつれかかった脚で、すぐさま客席の方に向き直した。リリカのいじましい努力を目の当たりにして、余計ここに立っていることが恐ろしくてたまらなくなった。  でも誰も助けてくれない。こんなに怖いのに、誰も。  私はその時、夜乃と今すぐ会って話がしたいと思った。あの子は天才だからと決めつけて、もたれかかってばかりいたことを謝りたかった。  あなたの孤独が今わかったよ、と伝えたかった。 「そういえばSステに出るんだって? 快挙だね」  澱んだ空気を振り払うように、夜乃が弾む声を出した。
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