谷間の杜松(ねず)【1】イリム視点

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谷間の杜松(ねず)【1】イリム視点

 僕たちの朝は夜明け前の礼拝から始まる。崖下の泉から湧き出る冷たい水で身を清め、輪になってひざまずいて聖典を輪唱するのだ。まだ明けやらぬぴりりと澄んだ山の空気に乗って、高く低く歌うように祈りの声が響いていく。密やかにそそり立つ山肌をそっと撫でるように舞い上がる祝詞は、まだ暗い藍色の空にひそやかに吸い込まれていった。 ――今朝も無事に目覚めさせてくださってありがとうございます。今日も御心のままになりますように。願わくば、みなが幸せでありますように――  礼拝が終わると二度寝を決め込む者もいるのだけれども、僕たちはそのまま朝食前に散歩をしたり、軽いトレーニングをしたりして過ごす。キャンプの周囲を軽く走りながら迎える日の出は格別だ。  急峻な東の山の端が白く輝いたかと思うと、紫紺の空が淡い茜色に染まっていく。やがて徐々に明るさを増して、影絵のようだった松の梢から葉を透かして透き通った光が差し込んでくるのだ。深い森で迎える清冽な夜明けの光景は、何度目にしても飽きることがない。  日常のふとした拍子に、生きていて良かったと思える瞬間の一つだ。  日がすっかり昇りきると、仲間たちとの朝食の時間。  今日の朝食は茹でたジャガイモと卵をつぶしたサラダ。ひよこ豆のペーストと一緒に、平べったく焼いた小麦のパンにくるんで食べる。大きく口を開けてかぶりつくと、ヨーグルトの酸味とスパイスのきいた味が身体に優しく染み入ってきて、今日を生き抜く気力がむくむくと湧いてきた。今日の糧を与えてくださった神様への感謝が自然に湧きあがる。  神を知らない人々は、こんな時にいったい誰に感謝するのだろう? もし感謝する対象がいないのだとしたら、それはとても寂しくて味気ない生き方の気がする。  ささやかだけれども心満たされる食事の後、仲間みんなで後片付けをする。食器をきれいに洗って、ひとつひとつしまい終えると、隊長に呼び止められた。
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