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妻が作り上げたこの異世界のモデルは、イギリス。
妻が、新婚旅行で行きたいと願った場所でしたが、僕の貯金が間に合いませんでした。
ヒロインが着ていたドレスのデザインは、妻が結婚式で着たいと願ったウエディングドレスのデザインでしたが、僕の貯金が間に合いませんでした。
他にもあります。
メイドの衣装は、妻と初めて喧嘩したテーマパークで、アトラクションの案内人が着ていたものでした。
僕の王子としての仕事は財政管理で、これは僕のいつもの仕事と同じでした。
妻は、僕との日常も小説に書きながら、僕以外の男と愛し合う物語を書いていたのです。
そして、僕だけが、この小説に閉じ込められ、妻との思い出に押しつぶされそうになっているのです。
なんて、残酷なことを妻はしてくれたのでしょう。
僕は、どうすれば良いのでしょう。
妻とこんな僕が、もう一度結婚したいだなんて、おこがましすぎる願望だったのでしょうか。
何をすれば、僕は本当の記憶喪失になれるのでしょうか。
僕が本当に聞きたい答えは、この世界では誰も教えてくれません。
何故ならここは、妻の頭の中の世界だからです。
僕が聞きたい答えを持っているであろう、小説を書いている時の妻とは二度と、会話ができないのです。
ただ絶望だと嘆いている日々よりも、一度希望を取り戻した後の絶望は、強固な肉体をもボロボロにしていくことを知りました。
僕は、妻の理想の男の体を、どんどんひ弱にしてしまいました。
起き上がれず、食事も喉を通らず、何かを考えようとしても、何も思い浮かばない日々が続いていきます。
僕は、妻がこの世界に転生していなくて良かったと、心から思いました。
僕はもう二度と、妻から幻滅をされたくありません。
僕と正反対の人間と妻が愛し合う妄想を、して欲しくはありません。
だったらいっそ、妻という魂はどこにも行かず、消えていて欲しいとすら考え、そしてまた後悔するのです。
そんな日々に、変化がやってきました。
今までは王家専属の医師が僕を診察していたのですが、遠くの街の医師を呼んだのだと、スチュワートが教えてくれました。
ダンディーな声が、何故その医師を呼んだのかを詳しく説明してくれてはいたのですが、僕の頭にはちっとも入ってきませんでした。
それだけ、僕が入った王子の脳みそは、限界が来ていたのでしょう。
僕にできるのは「そうか」と小さく頷くだけでした。
スチュワートが「入ってください」と言った直後に、驚くべき事がおきました。
ふわりと、優しい匂いが僕の鼻をかすめました。
妻の毛布に残った、あの残り香と同じでした。
どうして?
そう思ってすぐ、僕は扉を見ました。
「初めまして、殿下」
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