練習試合

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 僕はいつものように、登校して教室に向かっていた。  そしていつも通り、特に興味が惹かれる事のない勉学に集中するように心がけ午前中の授業が終わりを告げるチャイムが鳴って、息を小さく吐く。  何の興味も持てない時間を過ごすのは苦痛ではあるが、家で世話になっている祖父母にこれ以上迷惑にならない為にも、学校に行く事は必要な行為だと、自分に言い聞かせながら行っていた授業の休憩は、自ずと詰まらせた息が漏れたのだが、一瞬で僕はまた息を詰まらせる。  左隣の席、芦家が僕の席の前に立ったからだ。   「飯、行くぞ」 「………あぁ」    早く行かなければ、また芦家の知り合い達に取り囲まれて大変な目に合うので、そそくさと弁当を取り出して芦家と連れ立って無言で体育館の上にある部屋へと向かう。  いつも通りの事だけど、昇降口を降りた先の自販機で水を買おうとした時にその下に、一つピンク色の缶を見つけて、少し考えた後に水とソレを買った。  鉄板の細い階段を芦屋の後に続いて、登りきった先にあるいつもの部屋にたどり着き、マットの上にドカリと座り込んだ芦家を尻目に僕は定位置になりつつある学生椅子に腰掛けて、持ってきた弁当の包みを開け始める。   「昨日はありがとうな」 「…別に、礼を言われる事なんてしてないだろ」 「一緒に出掛けてくれただろ?」 「……パン食べただけだろ」 「そうだけど、でも俺は楽しかったぜ」    屈託のない笑顔を見せる芦家に、僕は鼻を小さく鳴らした。  別になんて事はしていない。  パンを食べた後、僕達は駅へと戻って家に帰った。  パン屋から戻る途中に見つけた、騒音をたてている店に僕は驚いて目を瞬かせると芦家は「ゲーセンだ、入るか?」なんて言ってきたけど僕はそれを無視して、家路へ向かった。  別れの挨拶だって特別しなかった。僕は駅のホームにそそくさと向かって、これ以上芦家のペースに飲まれないように意思を固めて芦屋を振り返る事はしなかった。   「今度はゲーセン行こうぜ、行った事ないんだろ?」 「……無いけど、別に行きたくない」 「行った事ねぇなら、行きたいかどうかなんてわかんねえだろ」 「行かないって言ってるだろ…」 「そうか…まあ、すぐじゃなくても良いけど…あ、そういや、言ってたバスケの練習試合今日なんだ、来てくれよ」 「…それも行かないって言っただろ」 「えー…、来てくれねぇの?」    コンビニのおにぎりが大量に入った袋を胡座をかいた足の上に広げて、眉を下げる芦家の姿に散歩にいけなかったゴールデンレトリバーがいじけた様子と重なる。  そんな顔をされても困る。元々行かないと言っていただろうと悪態をつきたくなった。   「…行かないって、言っただろ」 「忙しいのか?」 「…別に」 「じゃあ来てくれよ」 「………」    強請る言葉に返す事なく、僕は弁当に手をつける。  今日のおかずは、アスパラの肉巻きと海苔の卵焼き、ピーマンの炒め物にふりかけがかけられた白米だ。   「…黒瀬の弁当って何時も美味そうだな、自分で作ってるのか?」 「…祖母が作ってる」 「へぇ、すげぇ良いばぁちゃんだな」 「…君は、弁当を食べてるのを見たことがないな」    おにぎりの包装を器用に取り去って、ガブリと海苔をパリパリと噛みちぎる音を立てながら、飲み下した芦家の様子に、僕は今までの昼食を思い返して口を開いた。  特に気になっていたわけでは無い。ふと思っただけだ。   「あぁ、俺の家、妹が産まれて親忙しいんだ。スポーツやってて腹減るし、俺先輩とか店の人からもらえることも多いから、そういうので済ませたり買ったりしてる」 「…妹って、凄い離れてないか?」 「おぉ、まだ一歳になってねぇんだ。すげぇ可愛いぜ」 「…へぇ」    妹、その存在の名称に脳裏に小さな赤子を抱く芦家が思い浮かぶ。  彼の事だ。きっと大切に可愛がっているのだろうとそれ以上でも以下でもなく、考えている時だった。   「黒瀬は兄弟いんの?」 「…………………」    僕はその言葉に、手が凍りついた。  必死に練習する姿は焦燥感に苛まれていた。  突出した才能は無かったけれど、ピアノに向き合おうと必死だった弟の姿を思い出す。  黒瀬翔、僕の弟。僕がピアノを失う前までは、アドバイスや練習にも付き合った。  父や母からの愛情を疑うような事を言って、夜中に泣いていた時後ろから抱きしめてやった事もあった。  僕のピアノを聴かせると、少し複雑そうな顔をしてやっぱりヒカルは凄いなんて言うから、僕はカケルのピアノを僕は好きだよと返した。  でも、そんな細やかな弟との時間もピアノが弾けなくなって、無くなってしまった。  僕は自分自身のことで精一杯で、弟に構う余裕なんて無くなってしまって、まともに話事をしなくなってしまったのだった。   「………黒瀬?」 「…っ、…あぁ、…弟が、いるよ」 「アメリカにいんの?連絡とか取ってねぇの?」 「…本当に君って、ヅケヅケと色々聞いてくるね」 「まあな、だってお前、こうしないと消えていなくなっちまいそうだから」 「…何だ、それ」 「なんか、うまく言えねぇけどそう思った」    悪びれる事もなく、平然と僕に向かって人懐こく笑う姿を見て、僕は呆れてしまう。  言葉を返す事なく、僕は買ってきたピンク色の缶のプルタブを押し開く。  プシュ、と密封された中の空気が抜ける音が部屋に響いて、芦家の目線が僕の顔から手元に注目する。   「お、いちごミルクじゃん」 「…ここの自販機にあったから」 「…そっか」    部屋に差し込んだ光が芦家の蜜柑色の髪を照らして、輝きを放ちながら同じ色のまつ毛まで煌めかせてはにかむ様子に僕は居心地が悪くて、買ってきたいちごミルクを飲む。  冷たくてまろやかな、いちごらしくも牛乳らしくもない独特の甘さが口に広がる。   「………弟はアメリカにいるよ。連絡は、取ってない。アメリカにいた時も…、ピアノが弾けなくなってからは一言も口を聞いてない」 「一言も?仲悪かったのか?」 「…仲は良かったよ」 「それなら、黒瀬が日本に来て弟は寂しがってそうだな」 「…翔は今、ピアノの事で忙しいだろうから、そんな事気にする暇無いんじゃないか」 「連絡は取らねぇの?」 「………しないよ」 「何で?」 「……ずっと話してないんだ」 「………ふぅん、それならさ、今日俺が試合で一番点を取れたら連絡するとか、考えてみねぇ?」 「……は?」    突拍子のない提案に、僕は間抜けが声が密室に響く。  いきなり何を言っているのか、何故そんなこと言うのか理解ができない。  僕は、瞬きを繰り返しマットに座り込んでいる芦家を見つめた。   「…何故、そんな事をする理由がある…?僕に何の意味もないし…、関係もないだろう」 「関係ねぇし俺のエゴだ、でも、俺がお前に弟と連絡取れなんて言ったって取らないだろ?だから、俺の決意見せるぜ」 「…………」 「勝ったら、の方がかっけぇけどそれはチームの問題だからな、勝利はチームで勝ち取るもんで俺だけのもんじゃねぇから、純粋な点数で一番になってくる」 「……そんなの、意味わからないし…、それに君なら余裕なんじゃないのか、君は此処のエース候補なんだろ」 「いーや、全然?先輩達本当うめぇし、叶わねぇ先輩もいるし、対戦相手の先輩とか俺と同学年でおもしれぇ奴もいるし、俺が一番に慣れる可能性とか別に高くねぇよ。でも、俺一番になってくる、お前と弟がまた話してくれるように」 「………本当、意味わからない」    関係性のある話でも論理的でも無い話で無く馬鹿馬鹿しい事を言っているのに、その目に宿る熱意が籠った視線に射抜かれて、僕は一蹴する事が出来なかった。   「今日が青藍で初めての試合、その中の1番を俺がお前に持ってくる」    理屈なんて何もない話なのに、意味の分からない話でしか無い筈なのに、その瞳に宿る熱に浮かされてしまう。  馬鹿馬鹿しいと笑う事が出来なくさせる強い意志が宿る瞳に、息を呑んで何も言えなくなっていると「弁当、早くくわねぇと昼飯終わっちまうぜ」と笑う芦家の声に、慌てて手元にあった弁当の残りを口に運ぷ。  何だか、顔が少し熱くて鼓動がする。  芦家の穏やかないつもの笑みではなく、バスケットボールに本気になっている熱が伝わってきた気がしたのだ。  
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