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余計な物とは何だろう。 私が黙っていると、マリカがコホンと咳をした。 その後に続いてアシスタントがマリカの側に現れた。腕時計を見るともう30分近く時間が経っていた。 マリカが口を開いた。 「そろそろ時間ですので」では、最後に」 「はい」 私は椅子から立ち上がる。 「最後に1つだけ」 私はバックを肩にかけた。マリカを見やる。 「もし、不慮の事故で眼鏡が壊れたり、無くした場合は速やかに購入なさって下さい。そのままでいると余計な物を見過ぎてしまいますから。なので出来るのであれば、その状態に陥った場合、誰とも会わない方が良いでしょう。会えば、余計な物にそそのかされ、ケアレスミスな貴女が露見してしまいます」 「あの、話の途中でごめんなさい。余計な物とは一体、どんな物なのでしょうか?」 「サメです。赤いサメが、余計な物の正体です」 マリカはいい、言葉を続けた。 「もし、貴女の側に赤いサメを飼っている人や、赤いサメが見えている人がいらしたら、必ずその人から逃げて下さい。全てをほったらかしにしてでも直ぐに逃げて下さい。例えそれが家族であってもです。自分が最大限に逃げられる場所まで、何がなんでも逃げて下さい。距離が貴女を不幸にするかは正直わかりません。ですがそのような人の側にいる事は何よりも危険な事なのです。ですからもし、赤いサメの存在を耳にしたのであれば、必ず逃げて。何故ならそれがあなたにとって最大の幸福となり、私の願いだからです」 「今、私はマリカさんから、その、赤いサメ?の事を耳にしましたけど…それってつまり、マリカさんから逃げた方が良いという事でしょうか?」 「ある意味ではそうかも知れませんね。何故なら貴女は初めて赤いサメの事を耳にしたのですから。ですが赤いサメはいます。その存在は貴女にとっては余計な物に過ぎません。過ぎないからと言って油断は禁物です。それこそが貴女のケアレスミスを引き起こす重要な事なのですから。なので、私は再度、貴女にお伝えします。どうか眼鏡にだけは気を配ってあげて下さい」 マリカはいい立ち上がった。アシスタントが終わりですと告げ、こちらの部屋へと入って来た。 私の手を取り、再び、扉から出た。階段を降りると手を離し、今日はありがとうございましたと私に向かって深々と頭を下げた。 余計な物?赤いサメ?何よそれ。意味わからないじゃない。実家に向かう電車の中で私はそう思った。けれど直ぐに気持ちが子供達の事へと向かう。マリカは安心して良いと言った。 それだけで私はホッとしたし、嬉しかった。 長女と次女の2人はちゃんと掃除をしてくれているだろうか。突然の帰宅だからびっくりするに違いない。私は久しぶりの再会が楽しみで仕方がなかった。 娘達はしっかりと実家を守ってくれていた。 「お父さんから連絡が来たから来るのはわかってたし」 次女が胸を張ってそう言った。掃除を頑張ったのだろう。私は再会を楽しんで翌朝、2人の朝食を作り、昼過ぎに実家を後にした。 寮に戻って主人に娘達の近況報告をした。 「2人とも頑張ってるんだな」 「貴方の娘だから、頑張り屋さんなのよ」 私はいい、先に休むわと主人に告げた。 ゴールデンウィークを翌日に控えた朝、 食堂にはこれから帰省するであろう寮生達数名が 朝食を取っていた。 足元にはお土産の紙袋が会話する人数以上に置かれてある。 その席から離れた場所に、穂乃果ちゃんがいた。今年の春からここの寮生になった子だ。 「穂乃果ちゃん、出来たわよ」 私が呼ぶと穂乃果ちゃんは、つまらなさそうな表情で席を立った。 こちらに向かって来る時、お土産袋を持ったテーブルの輪の中の1人の声が耳に入った。 「知り合いの誰かに赤いサメを飼ってる人っていない?」 私はドキっとして、下げてあったトレイを取り損ねた。慌ててもう片方の手で押さえ大事には至らなかったが、意識はまだ会話中の寮生に向いていた。 「赤いサメ?そんなサメいないし、そもそもサメを飼うような知り合い私にはいないよ」 と返事をした寮生に、賛同するかのように残りの寮生が頷いてみせた。 「いないかぁ」 「どうしてそんな事知りたいわけ?」 「ちょっとねー」 赤いサメの話を言い出した寮生は笑って誤魔化した。 マリカの言った赤いサメの事を何故、この子は知っているのだろう?占いの館に行き、私と同じような事を言われたのだろうか。気にはなったが、この片付けが終われば私達も休みに入る。 実家に帰るよと娘に言ったら、2人で旅行でもして来なよと1泊2日温泉旅行をプレゼントされた。娘達からプレゼントを貰ったのは今回が初めてだった為、私も主人も、目頭が熱くなった。 2人で抱き合い、嬉しいねと言いあった。 私達夫婦は娘達の言葉に甘えて今日の午後から出かける事になっている。赤いサメの事など気にしてなんかいられない。 まだ残っていた穂乃果ちゃんにゴールデンウィークの予定を聞くと帰らないとの事だった。 が、寮に入る鍵もある事だから、私達がいなくても心配の必要も無さそうだ。 片付けを終えて主人と2人、タクシーを呼んで駅へと向かった。 数時間の電車の旅を2人して堪能した。温泉宿のパンフレットを見ながら、どんな料理が出て来るのかなぁとあーでもないこーでもないと言い合いながら、時折、車窓を眺めては微笑んだ。 温泉街を散歩しながら目的地の宿に着くと、直ぐに露天風呂へ向かった。ゴールデンウィーク前日とあってか、利用客はまばらだった。明日からは大忙しになるのだろう。人当たりの良い仲居さんを遠目に眺めながら、陰ながら応援した。 新鮮な刺身の舟盛りに主人と舌鼓を打ちながら子供達や寮生の話をした。主人は気が緩んだのか、普段より少ない量のアルコールで顔を赤らめ、いつしか横になっていた。無理矢理に起こして布団へ寝かせると直ぐにイビキをかきはじめた。 私もそうだが、この1カ月、慣れない仕事に神経をすり減らして来た。ようやく落ち着いた頃に娘達からのプレゼントだ。主人の高イビキを聞きながらこんなに幸せで良いのだろうか。なんて事を思ったりした。 よく素直に育ってくれたなと、3人の子供達との生活を思い返していると、ふと涙が溢れた。 主人に見つからなくて良かったと思いながら、 部屋の明かりを消し、主人の布団の中へと身体を潜り込ませた。 余程、嬉しかったのだろう。私は、子供達がはしゃぎ回る夢を見た。成長する過程で勿論、喧嘩もあったけれど、ここまでは良い人生だった。 これからも、この幸せが続くようにと願い、主人と共に朝食を頂いた。 午後に旅館を出ると、街ブラをしながら温泉街を楽しんだ。買い食いをしてスマホで写真を撮った。主人め腰を痛がる様子も見せず、本当に素晴らしい時間を過ごす事が出来た。 「娘達に感謝だな」 「そうね。お土産買ってあげなきゃ」 私が言った。 「今度は息子に、プレゼントしてもらおうかしら」 私の言葉に主人は賛同し、ねだってみるかと笑った。
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