恋というには軽すぎる

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二〇十九年 四月 私立桜ヶ丘高校に通い始めること一週間が経った。 私の名前は加藤ネネ、四月から高校に入学し念願のJKになった。 私はアニメや漫画を見て育った生粋のオタクだったが、外見的には無事高校デビューを果たすことに成功し、憧れだった高校生活にもようやく慣れてきた。 初日にとにかく話しかけたことが功を奏したのか、インスタグラムや連絡先を交換できた人も男女別に何人かいて友達ができたので、ほっとしていた。 しかし、そんな高校生活の中で一つ気になることができた。 それは、私のクラスを受け持つことになった担任のことだった。 彼の名前は齋藤達也、年齢は20代後半、身長は178cmくらいで痩せ型の体格をしている。 眼鏡をかけていていかにもエリートサラリーマンといった感じだが、イケメンと表すに相応しい顔のパーツやルックスの持ち主で、カッコよくて当たり前だがまだ若々しい。 それでいて面白さも兼ね備えている彼は男生徒女生徒どちらからも人気を確立していた。かくいう私もそのひとりだ。 担当教科は数学で、私は気がつけば齋藤先生に目を奪われていた。 時々こちらの方をハッと振り向いたり、私をチラッと見つめて「ほーらそこ集中しろよー?」と言うから、胸がドキドキして授業どころではなかった。 聞くところによれば、この高校で勤務してもう5年になるらしいが、先生についての悪い評判は未だに誰も聞いたことがないようだ。 恋に落ちてしまったのかと気付く頃にはもう遅く、常に齋藤先生のことを目で追うようになってしまっていた。 他の生徒が齋藤先生に触れていたり笑顔で話すだけでも嫉妬心に駆られてしまう自分がいた。 そんなある日のこと ぼっちな私がぽつんと一人で教室の隅っこで弁当を食べているのに気を遣ってくれたのか、先生は私の隣の空席に座ると私に話しかけてきた。 「ネネ、だよな?一緒に食べてもいいか?」 「は、はい。」 「いつもここで食べてるの?」 「はい……」 「そっか……ネネはいつも一人でいるからなんか気になってな。」 先生はそう言って優しく微笑んだ。 瞬間、ふと思った、お願いすればまた一緒に食べてくれるのかなっと。 そう思うと、私は思い切って先生に話しかけた。 「先生、あの……私……」 「ん?どうした?」 「……ぁ、いえ、やっぱりなんでもないです……」 しかし人気者の先生にそんなことをお願いする勇気なんて私にはなく、ただ黙って俯くことしかできなかった。 「そうか?なんか困ったことあったらいつでも言ってな。」 先生は弁当箱を片付け始め、席を立った。 教室を出て行こうとしていたが、不意に私の方に振り返り 「そうだ、ネネさえ良ければまた今日みたいに一緒に飯食べても大丈夫か?」 と聞いてきた。 「え、はい……!」 咄嗟にそう答えると先生は嬉しそうに笑った。 「そりゃ良かった、じゃっ授業がんばれよ~」 扉はガラッと閉められ、1人取り残された私はそれはもう舞い上がっていた。 (これって、また一緒にお昼たべられるってこと、だよね…?) それからというもの、私は先生によく話しかけるようになった。 先生はいつも笑顔で接してくれて、その優しい笑顔を見るだけで幸せだった。 あるとき、齋藤先生と廊下ですれ違い、 「あの......齋藤先生」 私が声をかけると先生は、んっ?と言って私の顔を見た。 私は緊張しながらもなんとか言葉を振り絞って口を開く。 「数学の宿題で聞きたいところがあるんですけど…」 すると先生は「勉強の相談とは関心だな…そうだな、放課後でもいいなら別教室で待っててくれるか?」と言ってくれた。 「は、はい……!」 放課後、私は言われた通りに別教室で待つことにした。 適当にいつも座っている廊下側の1番後ろの席に着くと、机にシャープペンシルと買ったばかりでありながら角が鼠色に滲んだ白い消しゴム、宿題のプリントを広げて齋藤先生を待っていた。 齋藤先生の優しい顔が脳裏に浮かび、口が緩む。 インスタやLINEを交換した友達はいても、みんな部活動などで忙しなかったりして部員と話す機会の方が増え、特に一緒に弁当を食べることも無く放課後も一人で帰ることが多かった。 別にいじめを受けているわけでもないけど、1人で弁当を食べたり、一人で帰ったりするのはすごく寂しかった。 周りの明るい子たちは放課後は友達とスターバックスに行ったりゲームセンターに行っては男女一緒にプリクラを撮ったりするのだろう 毎日がバラ色の高校生活、そんなみんなが羨ましかった。 でもネガティブで人見知りな私にとっては誰かに話しかけるなんてできっこない。 だから学校に行くのも嫌だった、楽しいこともないし授業も面白くない、学校に行く意味なんてないと思ってた。 だけど、そんな私に優しく話しかけてくれた齋藤先生は、救いだった。 高校生になって初めて、恋というものを知った。これが恋なのかなって、恋愛相談する相手なんていないけど、目が合っただけでキュンとして、同時に照れてしまって目を逸らしてしまうとか 名前を呼ばれただけで胸が熱くなるとか、その人以外見えなくなるとか ずっとそばに居てくれたらいいのになんて思ってしまったり、もうこれは恋なんじゃないかと 自分でそう思ったのだから、好きを直感で感じてしまったのだから、これは恋以外のなにものでもない。 そんなことを考えながら、先生もうそろそろ来るかな?と気分は舞い上がっていた。 (私…また齋藤先生のことばっか考えてる…はあ、好きだなぁ……) そのときだった。 「ネネ」 ガラガラと扉の開く音がした後に、突然名前を呼ばれて、顔を上げるとそこには齋藤先生がいた。 「あっ先生…!」 「ごめんごめん待たせちゃって。」 いつものようにスーツをピシッと決めた先生は私に近づくなり私の席の机に手をかけ 「それで、問2の部分でわからないところがあるんだよな?」と一気に距離を縮ませて訊いてきた。 「あ、はい……ここなんですけど……」 私はプリントを先生に見せようと体を少し動かしたときだった、机の端に置いていた消しゴムが床にぽとっと落ちてしまった。 「あ……っ」 慌てて席から立ち上がり拾おうとしゃがみ込むと、私が手を伸ばすと私よりも大きな手が伸びてきて先に消しゴムを拾い上げた。 そしてそのまま先生は私に手渡ししてくる 「ほらよ」 「あ、ありがとうございます……」 取ってもらった消しゴムを掴むと、不意に指が触れ合う。 (先生の手に触れちゃった……!) 先生が触れた手が、熱を帯びたかのように熱い。 浮かれてしまう自分を必死に抑えて、平常心平常心!と言い聞かせて 気を取り直して机に向かって、プリントを穴が空くほど見つめながら教えて欲しい場所に指を指すと、 先生は「ああ、ここか」と言いながら丁寧に解き方を教えてくれた。 そして一通り教えて貰ってから、私はプリントを鞄に仕舞い込むと椅子を引いて立ち上がった。 「今日は、ありがとうございました…!」 ぺこりと頭を下げてお礼を言う。 すると先生も立ち上がって私の頭を優しく撫でてきた。 「……っ!」 (せ、先生……!?) 突然のことに頭が真っ白になる。 齋藤先生はそのまま何も言わずただ微笑みながら私を見つめていた。 そしてしばらく経ってから口を開いた。 「…ネネは勉強熱心でいい子だな」 そう言ってまた私の頭を撫でてくる。 「あ、あの……っ」 私は思わず声を荒らげてしまった。 先生の手が触れただけでこんなにドキドキしてしまうのに、頭なんて撫でられたらもう頭がパンクしてしまいそうになるから。 先生はそんな私を見て少し驚いたような顔をしていたけどすぐにまた優しく微笑んで 「おっと、すまんすまん!兄貴の娘にするからついクセが抜けくてな…」 苦笑いしながらそう謝ってきた。 むしろもっとして欲しいくらいだし…と思うも、兄貴の娘にするクセで、という言葉が頭に入ってきた瞬間、先生自身は奥さんとかいるのかが気になってしまい仕方がなかった。 「い、いえ!あ…ご兄弟の…?」 「ああ、今兄貴んとこ1歳の娘がいるんだよ。」 「そ、そうなんですか……あの……齋藤先生はご結婚とかされてないんですか?」 聞いてしまった。 でも聞かずにはいられなかった。 すると先生は少し照れくさそうに頭を搔いた後に口を開いた。 「……そうだなあ、今は仕事に集中したいしな。マッチングアプリとかもやる気ないし」 「……ふふっ、仕事人間なんですね」 (じゃあ奥さんとかもいないんだ……!) 私は思わずにやけてしまう。 そしてそんな私を見た先生は 「まあ、俺ってイケメンとは程遠いもんなぁ…」 なんて返してくるから、慌てて訂正する。 「いや、そういう意味じゃなくて!今のは言葉の綾、っていうか……!先生は…か、かっこいいです、よ?」 そう言うと先生は少し驚いた顔をした後に、ははっと笑い出した。「いやあ、お世辞でも嬉しいよ」 「お……お世辞なんかじゃないです……!」 私は思わず大きな声を出してしまった。 すると先生はまた笑って「ありがとうな」と言ってくれた。 その笑顔にドキッとすると同時に胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感覚に陥る。 (ああもう、心臓うるさい……!) 先生といると心臓がいくつあっても足りない気がするほどドキドキさせられてしまうから本当に困る。 「……あ、あの!私そろそろ帰らないとなので……っ」 私はこれ以上一緒にいたらどうにかなってしまいそうだったから、帰ることにした。 すると先生は「ああ、気をつけて帰れよ」と言って手を振ってくれた。 (もう……娘にするクセで頭ポンポンするとか…先生ってばすぐそうやって私のこと子供扱いするんだから……!) でもそんな扱いでも、先生と話せるなら悪くないと思ってしまう自分がいるのも事実だった。 私は齋藤先生にペコリと頭を下げてから教室を出て廊下を歩く。 そして昇降口に辿り着くと下駄箱を開けて靴を取り出し、つま先から靴に足を入れて、踵まで押し込む。 ──校門を後にし帰路につくと、最寄り駅の自動ドアを潜って改札に近づきながら、定期をスカートのポケットから取り出して改札を通る。 手稲駅行きの快速電車に乗り込むと1人用のBOX席に腰掛けて、スマホを取り出すとすぐさまTwitterを開く。 「やばい、今日の先生かっこよぎた……」 私はそう呟くと、続けて 「先生に頭撫でられて嬉しすぎて死にかけた」 とだけ打って投稿ボタンをタップした。すると瞬く間にいいね!の通知が画面を埋め尽くしていく。 それは同じく学校の先生に恋をしているフォロワーからのいいねだった。 また家に着いてから確認しようとホーム画面に戻り、有線付きの黒いイヤホンスクールバッグの底から取り出すと、スマホに繋げてイヤホンを耳に差し込んでLINEMusicを開いた私は液晶画面に表示された歌詞を目で追う。 《 私の先生 私の先生 周りの男ガチどーでもいー!! 年齢の壁なんて関係ないでしょ? これも恋でしょ 否定すんな ハジメテは貴方に捧げたい 年上イケおじ最強じゃん?! 分かってるよ結ばれないの!!それでも好きなのやめらんないよキミ以外と付き合う信じらんないよー!!(泣) 独占欲依存心なんてないわけがない毎日がJealousy心の底では血祭りです^^ 》 ハイテンポかつハイテンションな曲調 YouTubeで〝先生 恋〟と検索したら「先生に恋しているJKの曲」というタイトルに惹かれてタップして聞いてみたら、歌詞や歌声がとても胸に刺さり、大好きになった曲のひとつだ。 そんな曲を流しながら頭に浮かぶのは齋藤先生ただ1人だった。 恋心に酔いしれていた私だったがふと横の窓に目をやると、外は既に真っ暗になっていて、車窓から見える景色には家やマンションの明かりが点々と光っていた。 それはまるで宝石みたいにキラキラと輝いていて、綺麗だと思うのと同時に、やはり放課後のことが脳裏にチラついて仕方なかった。 家に帰ってからも、あの瞬間が忘れられずにいた私はお風呂に入った後髪を乾かしスキンケアをして歯磨きも済ませると、ベッドの上でゴロゴロしながら放課後の余韻に浸っていた。 (……はあ、やっぱ先生かっこいいなあ……) 先生に頭を撫でてもらえただけで十分すぎるほど幸せだったけどやっぱりもっと触れ合いたいと思ってしまう自分がいた。 そしてふと我に帰ると時計は既に1時を過ぎていて、慌てて寝支度をして電気を消すと布団に入った。 薄暗い部屋、外から聞こえる車やバイクの音、両親ももう寝ているのだろう…… 静寂の中私だけが目を覚ましてしまっているようで少し寂しくなりながらも瞼を閉じると 先生の手の感触や笑顔を思い出しながら眠りについた。 それからというもの、私と齋藤先生の距離は一気に縮まっていった。 毎日のようにお昼ご飯を一緒に食べたり放課後も掃除が終わったあとに先生と雑談をしたりするようになったのだ。 それから数日後の昼休みのこと、私はいつも通り弁当を食べていたのだが今日はまた1人だった。 というのも、ほかのクラスの授業がら戻ってきたのか弁当を持って教室に入ってきた先生を見て お昼ご飯に誘おうとするも、ひと足早く他の女生徒二人が斉藤先生の腕に絡みつき、自分の席へと引っ張って連れていき隣に座るように促す。 「ほらせんせぇ座って!一緒に食べよ!」 先生も困った顔一つしない。 その光景を見て水が濁るかのように白い心が真っ黒に変色していくような思いになり、嫉妬心で胸が締め付けられた。 確かに今日、私と一緒に食べる約束なんかしていない。 それでも先生ならわたしと食べてくれるんじゃないか、と勝手に期待していた。 (な、なんか馴れ馴れしくない…?ていうか近いよ、私の斉藤先生なのに……) だけど私にはそんなこと言う資格も勇気もない。 (モヤモヤしちゃう、先生と何話すんだろう、私といるときより笑ってない…?ああもうやだ、目の前で横取りされた気分…っ) 瞬間、我に返ると私はなんてことを考えているのだろうと自己嫌悪に陥った。 私は気分が澱んだ気持ちのまま、自分の席に着席し直し、弁当を食べ始めた。 女生徒と高い声が教室に響く。 「先生が先生じゃなかったら絶対アタックしてたなー」 ピクっとその言葉に反応してしまい、私は3人の会話に聞き耳を立てていた。 「いやあんたみたいなガサツな女じゃ無理!気遣いもできて仕草も可愛い私の方が選ばれるに決まってるしー!」 そんな2人の言い争いを止めるように先生はははっと笑みを溢して言った。 「こらこら、女の子は誰だって可愛いだろ?」 先生がそういうと女生徒二人は頬を赤らめながらはしゃいでいる。 (先生はいつも誰に対しても優しいのに) 私は少し苛立ちを覚えながらも、心にはまたどす黒い感情が渦巻いていた。 (先生を、取られたくない…) そんなことを考えているうちに時間は過ぎていく。 予鈴が鳴ると、女生徒二人はまた食べよーね!と言いながら斉藤先生に手を振っていた。 そして放課後になり、廊下で斉藤先生と会った。 先生は私を見るなり、いつも通り声をかけてくれた。 いつものように優しく微笑んでくれる先生を見て安堵すると共に、またモヤモヤした感情が胸を覆い尽くす。 先生は何事もなかったかのように普通に接してくれるのに、私は先生のことになるとすぐに心が乱れてしまう。 すると先生が口を開いた。 「おっ、ネネ…今帰りか?」 「あ、はい……」 先生が私に声をかけてくれるだけでも、私はとても嬉しく感じてしまう。 先生と一緒にいるだけで心が満たされていくようだった。 「ネネの家ってここからそう遠くなかったよな?もう暗くて危ないし車で送ってっててやろう」 「え、でも悪いですよ……」 「いいから遠慮すんなって」 そう言って先生は半ば強引に私を車に乗せてくれた。 しかもその席は先生の隣、つまり助手席で、それが彼女みたいでとても嬉しくて高揚した気持ちでシートベルトを閉めると 「それじゃ行こうか」 そう言って車は発進した。 私は先生が運転する横顔をじっと見つめてしまう。 すると先生は私が気まづくならないようになのか、軽く話題を振ってくれて、家に送られるまで丁度いい暇つぶしとなった。 「いつも思うけど先生って結構細いですよね、ちゃんと食べてますか?」 「まあ一応食べてるけど……仕事大変でなぁ」 私は先生の体調を心配した。 もちろん変な意味ではなく純粋に心配していると、そんなか?と目を泳がして頭を搔くその仕草がなんだか可愛くて、ついクスッと笑ってしまう。 「な、なんだよ……」 少し恥ずかしそうにする先生も愛おしく思えた。 (やっぱり私、先生が好きなんだな……) そんな思いを抱きながら車に揺られているとあっという間に私の家に着いた。 「ありがとう先生、わざわざ送ってくれて」 「いや、全然いいよ」 そう言って先生は車から降りて私の頭をポンっと優しく撫でる。その行為だけで胸が高鳴った。そしておやすみなさいとと胸元で小さく手を振ると、先生は微笑んで振り返してくれた。 そうして車がまた発信していくのを見届けると、私は先程の先生との余韻に浸りながら家の中に入った。 それからも毎日先生とは一緒に帰るようになり、前よりも距離が近くなったように感じるのは私の自意識過剰だろうか。 でもそれでもよかった。 先生の彼女になれたような気がして幸せだった。 だけどそんな幸せな日々は長く続かなかった。 「ネネちゃん、最近先生にべったりすぎじゃない?そんなに懐いちゃってまあ」 ある日の放課後、私が帰る支度をしていると友人にそう指摘された。 「べ、別にそんなんじゃないけど……」 「先生だって男なんだから変な気起こすかもよ?」 そう言われてドキッとする。 確かに普通なら教師と生徒なんて有り得ないし…… もし先生が私に対してそういう気持ちを抱いてくれているなら嬉しいけど、でもそれは私の自意識過剰で先生はただ生徒に優しく接してくれているだけだ。 それに私は先生の「生徒」だ。 それ以上でもそれ以下でもない存在なんだ。私はそう自分に言い聞かせた。 「あはは、それはないよ」 私は苦笑いしながら教室を出て家路についた。 (はぁ、何か気分落ちたなぁ) 私は落ち込んでいた、原因はわかっている。 この前友人に言われてからというもののずっと考えていたことのせいだ。 先生にとって自分はどういう存在なのか。 ただの「生徒」としか思われていないのかと悶々としていたのだった。 「私ってそんなに魅力ないかな……」 思わず独り言を呟いてしまうほどに私は自信を無くしていた。 確かに自分で言うのもなんだが容姿は悪くない方だとは思うし、スタイルもいい方だと思う。 それに最近になって少しだけど胸も大きくなった。 それでもやはり歳の差というのは大きいもので 高校生と教師の恋愛なんてあるわけない、いや、あってはならない。 それなのに、先生との交流が増えれば増えるほどに私の恋心は徐々に大きくなっている気がする。 それを認めたくはないんだけど。 翌日、全ての授業が終わると、私はいつものようにすぐに帰る支度を済ませて教室を出て行こうとするが 今日も斉藤先生に声をかけられないかなと期待してしまっている自分がいた。 しかし、先程まで教壇で生徒と話していた齋藤先生は、私よりも一足先に教室を出ていったので 私は肩を落として、机の横の銀フックにかけていたスクールバックを肩にかけて教室を出た。 私の1年C組の教室は2階の壁際にあるので、反対の、階段がある方に体を向けて歩き出するとそこで隣のB組の教室に入っていく齋藤先生の姿を目撃してしまい思わず足を止めた。 しかし1人では無い、先生の前には女生徒がいて、すぐに私のクラスメイトであり友人の大野小春だと気付く。 (え、なんで齋藤先生と小春ちゃんが……?) 先生はいつものように楽しそうに顔を綻ばせていて、小春ちゃんが教室に入ると先生もまた教室に入って扉を閉めた。 私はその2人の様子が気になって教室の扉についている四角いガラス窓から教室の中の様子を覗くと、先生と小春ちゃんが向かい合って何か話しているのが見えた。 (何話してるんだろう……) しかしここからでは会話の内容は聞こえない、私は少し不安になりつつも、2人の様子を伺う。 すると先生はまた優しく微笑んでいて、小春ちゃんはニンマリとした笑顔で、その姿はまるで飼い主に撫でれているペットの子犬のようだった。 そして次の瞬間、先生が彼女の頭に手を置くと、彼女はさらに嬉しそうに頬を緩めていた。 その光景を見た瞬間、私の胸はズキンと痛んだ なにか重荷が掛かったように気分が落ちて、もう見ていられなくなった私は逃げるように階段を駆け下りて昇降口まで降りると、頭の中はぐちゃぐちゃのまま、ただ早く帰ろうという気持ちで急いで靴を履いた。 履いたというよりは、靴につま先だけを入れて踵を押し込む形で、しっかりと足を入れないでそのまま学校を小走りで出た。 家に帰宅してすぐに私は制服を脱いで部屋着に着替えると、ベッドに倒れ込んだ。 「はぁ……」 ため息をつく、最近こんなモヤモヤした気持ちばかりだ。 先生と仲良くなれたと思ったらそれきりで……と、そんなことを考えているうちにいつの間にか眠りについてしまった。 翌日の学校にて、昼休みになると弁当袋を抱えた齋藤先生が教室に入ってきた。 だけど今日はなんだか気まずくて目を合わせられない。 すると先生は私の様子に気付いたのか声をかけてくれたが、私は適当に返事をしてその場をやり過ごしたのだった。 そして6時間目のLHRがやってきた、内容は体育祭に向けての競技決めだった。 私は基本的にあまりスポーツが得意ではないし、一緒にはしゃぐ友達すらいない。 周りの子はきっと可愛くハチマキを巻いて、髪型もオシャレにして、顔にハートのシールとか貼ったりしてみんなで自撮りしてインスタのストーリーとかに上げたりするのだろう。 けどそこに私みたいなのが混じれるわけでもないのだから、正直体育祭もあまり楽しみではなかった。 しかし齋藤先生はそういうイベントごとが大好きなようで、張り切っている様子だった。 いや、体育祭で生徒より張り切らない先生はあまりいないだろうが。 議長の女生徒が教壇の前に立って体育祭の内容を話し始めた。書記の生徒が黒板にスラスラと文字を書いていく。 最初は徒競走や二人三脚、障害物競走などの走る競技の参加希望を取るらしい。 みんながワイワイと声を上げる中、私だけは憂鬱な気持ちだった。 しかし、みんな続々と参加したい競技に手を挙げているのに、ここで私が手を挙げないと残り物で嫌なものが当たっても癪だし、目立つと思って私は意を決して、みんなの挙手に追従するように徒競走に挙手をした。 すると私の隣の女生徒も同時に挙手した。 それは小春ちゃんだった。 どうやら彼女は徒競走に参加するみたいだ。 それから各競技の人数が決まっていき、終鈴が鳴るころには全ての競技がそれぞれの名前で埋まっていた。 「体育祭は来週の水曜日から金曜日までの三日間です、練習や準備の時間は十分にあるので各自体調管理を怠らないように!それと、優勝した奴には先生が焼肉奢ってやるからな~!」 齋藤先生がそう言うとみんなワイワイと盛り上がりやる気になっていたが、かくいう私も途端にやる気が出たのだ。 (……それって、つまり…優勝すれば齋藤先生と焼肉デートできるってことだよね…?!) そのまま帰りのHRに移ると、すぐにそれも終わり。 私は帰る準備を済ませて教室を出ようとすると、齋藤先生に声をかけられた。 「ネネは体育祭徒競走出るんだってな?」 「あ、はい……」 「そうか、頑張れよ!先生は応援してるぞ」 先生はそう言って私の頭を撫でてくるから、思わず顔が赤くなる。 しかし今日は齋藤先生の顔を見ることができなかった、なぜなら昨日見た光景が脳裏を過るからだ。 こうしてくれるのは私だけじゃない、なんなら小春ちゃんの方が特別扱いされてるんじゃないかという不安が急に襲ってくる。 でも、だからこそ体育祭で先生にいいところを見せるチャンスだとも思った。 「あの、先生……」 「ん?どうした?」 「……私、頑張りますから!」 だから私は力強くガッツポーズを先生に見せてそう言ってみせると、先生は一瞬驚いた顔をしたがすぐに微笑んでくれた。 (よしっ!頑張るぞ!!) そしていよいよ体育祭当日を迎えた。今日は雲ひとつない快晴で絶好の運動日和だ、朝は少しだけ肌寒かったが今はもうすっかり暖かい。 開会式が終わると早速競技が始まるのでみんなグラウンドに集合して整列していた。 私は緊張していた。 「ネネ、大丈夫?」 隣に立つ小春ちゃんが心配そうな目で私を見てくるので私は笑って返した。 「うん!大丈夫だよ」 「そう?でも無理しないでね?」 そう言って彼女は私の手を握ってくれた。 その優しさがいい子ぶってるみたいで憎たらしい だって私は知ってるよ?小春ちゃんが齋藤先生によしよしされて嬉しそうに頬を緩ませていたこと。 「……うん」 しかし彼女の手の温かさが伝わってきて少し安心する自分もいて、自然と震えが止まった気がした。 そうして観客席に戻り、障害物競走や綱引きが終わるのを眺めていると、次はいよいよ徒競走に参加する生徒へのアナウンスが流れ始め、 遂に私の番が来てしまった。 下に降りて、みんなの準備が整うと、スタートラインにつく。 足を肩幅に広げ前傾姿勢を取るとピストルの音が鳴った瞬間に走り出した。 最初は順調だったがやはり中々順位を縮められずにいた。周りを見てみると足の速い子ばかりでどんどん追い抜かれていく、それでも諦めずに走るが結果は8人中の5位だった。 観客席に戻ってきた私に向かって、青木さんがんばってたよとかお疲れ様!と言ってくれる人はいたけど、結局優勝は小春ちゃんが掻っ攫っていって、彼女はクラスメイトや教師陣から称賛されていた。 それに比べて私は先生の期待にも答えられず微妙な順位。 がんばってた…って一生懸命手を振って最後まで走っていたからかな、きっと転んだりなんてしたら白い目で見られると思って走り切ったけど、励まされるとさらになにもがんばれてなんかないんだと痛感してしまう。 (やっぱり私なんかじゃ無理なんだ……) そう思うと無性に悲しくなって涙が出そうになるので、私はその場から逃げるように離れた。 「ネネ!」 後ろから呼ばれて振り向くと小春ちゃんが走って追いかけてきていた。 「はぁ……よかった……間に合った……」 彼女は肩で息をしながら膝に手を当てていた。 「……どうして?」 「え?」 「だって、私なんかに構ってる暇なんてないでしょ」 そう言って自嘲気味に笑ってみせる。 すると彼女は少しムッとした表情になったかと思うと私の頬を軽くつねってきた。痛い。 「いたっ!なにすんの?!」 「ネネが自分のこと悪く言うからだよっ」 彼女はそう言って今度は私の頭を撫でてくる。 「私はネネのこと大好きだよ、だって友達だもん」 「……」 私は無言で彼女の手を払い除けるとそのまま走り出してその場を去った。 (なんなの……うざい、いい子ぶって、私の先生を狙ってるくせに…) そして観客席に再び戻ると、その後も競技は続き、最終的な総合優勝者はうちの組で、一番活躍したと言うにふさわしい小春ちゃんはそれは嬉しそうに笑みをこぼして透き通るような綺麗な汗を流していた。 一方私はなんの活躍もないまま、結局先生と一緒に焼肉に行くなんてことも夢のまた夢になってしまったのだ。 数分もせずにHRに移り、体育祭は終わりを迎えた。 齋藤先生は小春ちゃんと話をしていて、私は情けなさから1人寂しく帰宅した。 玄関で靴を揃えるのも面倒くさくて、適当に脱いで、そのままリビングに向かうとソファに寝転がりながらスーパーで売られているであろう草餅をだらしない格好で平らげる母と目が合った。 「あら、おかえり」 「……ただいま」 私はその横を通り過ぎて流しで手を洗うと自分の部屋へと篭った。 制服から部屋着に着替えてベッドに倒れ込むようにして寝転ぶと、布団の上で沈んでいるスマホを手に取って脳死でSNSのフォロワーの投稿を眺めていた。 暫くすると母が、ご飯出来たわよーと言いながら扉をコンコンっと叩いてきたので、うん今行く、と返事をするとスマホをポケットにしまい込んでリビングに向かった。 母は既に席に着いていて、テーブルの中心には真珠のようにアイボリーな貝殻の形をした中ぐらいのお皿に盛り付けられた卵とレバーの入ったニラ炒めがある。 私のトレイを見ると茶色の汁椀に入った豚汁と、小学生のころお母さんと一緒にSeriaに行ったときに購入したうさぎ柄のピンクの茶碗にはご飯がよそわれていた。 お母さんのトレイにも同じ食材が並べられており、私は席に着くと、母と同じタイミングで手を合わせた。 「いただきます」 テレビではお笑い番組が流れていて、母はそれを見ながら橋を手に持つと、炒め物を口に含んでいく。 そんな母を尻目に見ながら黙々と箸を動かす私。 (……なんか今日は食欲無いかも……) しかし残すわけにもいかないのでなんとか胃の中に押し込んだ。 そして食べ終わる頃には時刻は20時を過ぎていて、お風呂に入ることにした。脱衣所で服を脱ぎ、裸になると洗面台の鏡に映る自分の姿が目に入る。 (また、胸が大きくなってる……) 私の胸はどんどん成長期に入っていることがよくわかるほどになよやかな胸をしていた。そのせいもあってか最近ブラジャーのサイズが合わなくなってきたので新しいのを買いに行かないといけないなと思う反面、これ以上大きくなると困るなぁとも思うのだ。 しかしそんな悩みを誰かに相談できるわけもなく私はため息をつくしかなかった。そしてお風呂場に入るとシャワーを浴びて身体を洗い始める。 ボディソープで泡立ったスポンジで全身を優しく擦ると、汚れと一緒に嫌な気持ちも流れ落ちていく気がした────。 翌日、学校に着くと小春ちゃんと目が合うなり駆け寄ってきた。 「おはよ!ネネ」 「……うん、おはよう」 私は無愛想に返すと、そのまま席に着いた。 すると彼女は隣の席に座るなり私の顔を覗き込んでくるので鬱陶しいことこの上ない。 しかしそんな私の気持ちなどつゆ知らずといった様子で話しかけてくる彼女に苛立ちを覚えながらも適当に相槌を打つ私だったが、やがて小春ちゃんはお手洗いに行くと言って教室を出て行ってしまった。 私は1人になると、小さくため息を漏らすとそのまま机に突っ伏した。 眠いわけではないけれどぼーっとしてたい気分だったのだ。 しかしそのとき、トンっ肩を誰かにつつかれたので、小春ちゃんが戻ってきたのかと思って顔を上げると、そこにいたのは齋藤先生だった。 「ネネ、今いいかな」 そう言って笑う先生の顔を間近で直視してしまい思わずドキッとした私だったが、それを悟られないように平常心を装って聞き返した。 「せ、先生…なんですか?」 「実は少し話したいことがあってな、今日の放課後時間あったりするか?」 「…え?はい、大丈夫ですけど…」 「それはよかった。じゃあ放課後、HRが終わったら隣の空き教室で待っていてくれ」 そう言って先生はまた教室から出ていった。 一体何の用だろうか?もしかして昨日の体育祭のことかな……?私は不安になりながらも先生の後ろ姿を見つめていたのだった。 そして全ての授業が終わりHRを迎えると、日直の挨拶に続いてさようならと発し放課後を迎えた。 先生は教室から出ていく生徒一人一人に挨拶をしながら黒板の文字を短い黒板消しで消していた。 それを見て私も教室を出て空き教室へと向かった。 しばらく待っていると、ガラガラガラと扉を開ける音が聞こえてきたのでそちらに目を向けるとそこには齋藤先生の姿があった。 「ごめんなネネ待たせて」 私は無言で首を左右に振る。 「実は昨日の体育祭のことなんだけどさ……」 そう言って先生は苦笑いをしながら頬をかいた。 やっぱりその話だよね……。 私は思わず身構えてしまうが、先生は続けてこう言ったのだ。 「ネネはすごく頑張ってたよな、みんなを応援してたり、徒競走も最後まで走り切ったり」 「……え?」予想外の言葉に俯いていた目線を上げて聞き返すと、先生は照れたように頭を掻きながらさらに続けた。 「実は大野が、ネネを傷つけてしまったかもしれないって心配してたんだ」 …心配?なんで?嫌なことを言ったのは私の方なのに……。 「小春ちゃんは、応援してくれたし決して私を貶すようなことも言わなかったのに、私ムキになっちゃって…冷たく当たっちゃったんです」 そんな私の心を見透かしたように先生は言う。 「そういうときもあるよな。先生も学生時代陸上部入ってたけど、そんときに1位2位を争ってた奴いたし、馬鹿にされてるって感じまう時もあったんだよな。ははっ、だからネネも俺も変わらないし、それが普通のことなんだと思う。まあ、ネネと大野なら切磋琢磨できそうだけどな」 「先生……あ、だから今も陸上部の顧問を…?」 そう訊くと、親指を上にあげてグッドポーズをしながらニカッと笑って頷いた。 そのすぐ後にまた口を開いた。 「それにこれは一番伝えたかったことなんだが…ネネってさ、普段はあんまり前に積極的に出るようなタイプじゃないだろ?それでも一生懸命前に出て走ってたの先生はちゃんと見てるし、もちろんクラスのみんなも、大野もな。」 その言葉にハッとして先生の顔を見ると先生は優しそうな笑顔でこちらを見ていた。 ……あぁ、ダメだ……これはダメ……涙腺が崩壊しそう。 そんな私を知ってか知らずか先生は続ける。 「ってなんだか暑苦しいこと言ってしまって悪いな、まあ、あれだ、これからも応援してるし困ったことがあったらなんでも相談してくれ」 そう言って先生は私の頭に手を置いてポンポンと軽く叩くと空き教室から出ていこうとする先生のスーツの袖を掴んでしまった。 先生は少し驚いたようだったが、私は先生の目を見ながら、思い切って言った。 「じゃ、じゃあ……!連絡先、交換してくれませんか…それが無理なら電話番号だけでもいいので…っ」 すると先生は少し驚いた後、また笑ってスマホを取り出した。 「本当はこういうのだめなんだがな…特別だ」 そう言って先生は自分のLINEのQRコードを表示したスマホの画面を私に見せてくれた。 私はその画面を見て思わず飛び上がってしまいそうになる気持ちを抑えてコードをスキャンし終わると先生にお礼を言った。 無事に連絡先を交換してもらい、私は先生と一緒に空き教室を出ると玄関ロビー前でさよならを言い合って学校を後にした。 ……やった!やった!!これで先生といつでも連絡が取り合える!! しかも先生に特別なんて言って貰えた、とそこで我に返る。 ……あれ?私ってこんなにチョロかったっけ……? いやでもこれは先生だから……だよね? うん、きっとそう! だって他の男子に連絡先教えてとか言われても絶対に教えないし! なんて自分に言い聞かせながら帰路につく。 その足取りはいつもより軽く感じた。 その翌日、私は学校に着いて小春ちゃんを見つけると、真正面から体育祭のときのことを謝った。 小春ちゃんは最初、目をぱちくりさせながら驚いていたようだったけど、笑いながら許してくれた。 私はこんなにいい子を悪魔に仕立てようとしていたんだと後悔し、また頭を下げて謝った。 小春ちゃんは頭を上げてよと優しく言ってくれるから、ありがとうと言うしか無かった。 それからしばらく経ったある日、珍しく遅刻をしてしまい1限目が終わったころに教室に入ると 小春ちゃんが「おはよ~、ネネが遅刻なんて明日雨降ったりしてね?」といつも通りフレンドリーに話しかけてきた。 なぜか安心感が強くて、それから暫くの間小春ちゃんと談笑をしていると、2限目が始まるチャイムが鳴り、互いに席に着く。 2限目の授業は数学、イコール斉藤先生の授業なのでこれに遅れる訳には行かないので間に合ってよかったと安堵しつつ、とても浮かれていた。 好きな先生の授業は、周りにとってどんなに退屈だとしても私にはイベントのように感じるのだ。 しばらくすると教室の扉がガラガラと音を立てて開くのが見えたのでそちらに目を向けると齋藤先生が立っていた。 先生は教卓に教科書とノートを置いたのを合図に日直が号令をかけるので私達はそれに従って起立し挨拶をした。 全員が着席すると先生は授業を始め、白いチョークを一本手に取り黒板に文字を書き始める。 斉藤先生はとても教え方が上手いし、面白くて退屈になることが全くと言っていいほどに無い。 なんと言ったって好きな人の声を聞きながら勉強ができるんだから、これ以上に至福の時間はないだろう。 そんなことを考えながら先生を目で追っていると、目が合いそうになって慌てて黒板に向き直った。 しかし先生を1秒でも長く見て居たくて授業どころじゃないのもまた事実。 (…はあ、先生好き…) その夜、部屋着に着替えた私は寝る前のスキンケアをしながら先生のLINEのトプ画を眺めていた。 白背景に鼠色の猫がゆるく描かれたアイコン、背景はソフビ人形のようなネコのフィギュアの写真で、背景だけは主張がとても強い。 (先生のアイコンってなんか先生っぽくてかわいい……猫好きなのかな?) 私はそんなことを考えながら微笑ましく先生のLINEを眺めていた。 まだ交換したばっかりでメッセージのやり取りなんてしていないのに、トークと書かれたところを無意味にタップしてしまうが、話題は未だに思いつかない。 そう思ってLINEのホーム画面に戻った瞬間、急にピコンっと通知が鳴り、メッセージが1件ついていることに気付く。 私は急に現実に引き戻されたようになりながらトークを開くと、その送り主は齋藤先生で、心臓が飛び跳ねた。 開いてみると〈明日は遅刻しないように、今日は早く寝るんだぞ~〉 先生から送られてきたLINEを読んで、ベッドの上で足をバタバタしながら、思わず頬が緩むのを感じた。 「あーもう!早く先生に会いたい!てか付き合いたすぎるっ!!」 思わず声が出てしまってハッとする。 そして直後に恥ずかしくなって枕に顔を埋めた。 その日はその余韻に浸りながら、また先生とデートをする妄想が脳裏に浮かんできたので、スマホを枕元に置いて仰向けになった。 今日はいい夢が見られそうだと思い、目を瞑った瞬間に隣でスマホが震えた。 ゴロンと転がってスマホを手に取ると、ロック画面が表示されていて、そこにはTwitterの通知が1件。 それはおすすめのツイートだったものの、文面を見て私は固まってしまった。 すぐ目に入ったのは「先生と付き合えちゃった」という文章 思わずタップしてみると、それはトーク画面のスクショとともにツイートされているものだった。 相手は先生と書かれていて、本名を使っているであろうところは絵文字で隠されていて、それでも会話内容は一瞬にして理解出来た。 ツイートをした主が私同様に学校の先生に恋をしていること、そして私とは違い、この子は〝先生に告白〟していて〝卒業したらな〟と返信されてていること。 「…みんなおめでとうって、言ってる…」 リプ欄をスクロールしてもヘイトどころか、おめでとう、ばかり。 普通批判するでしょ、そう思って下まで遡っても出てくるのはコピペばかりのインプレゾンビや祝福の言葉しか無かった。 「……幸せでずるい」 それはまるで、100連分課金しても出なかった推しキャラを、初心者に単発で弾いたと自慢されているかのような強い嫉妬心を抱くことだった。 なによりツイート主の「ゆん@先生に恋して50日目」というユーザー名にも腹が立った。 私なんか、告白どころか先生とこんなにやり取りをしたことだってまだないのに。 私なんか、先生のこと好きになって先生以外のことなんて考えたことないし死ぬほど大好きなのに、担任なのに近くて遠いし、なんでたった50日のやつが先生と、好きな人と結ばれてるの? こんなツイートおすすめに流してくんなよ、と内心思いながらそのアカウントをブロックすると、怨ずった愚痴を鍵垢でツイートしてから眠りについた。 翌日学校に着くと、いつも通り教室に向かっていち早く登校している小春ちゃんとHRが始まるまでの間に流行りの話や世間話をして時間を潰す。 昨夜のことを小春ちゃんに言う気にはならなくて、苛立ちにも似たモヤモヤを隠すために微笑む。 6限分の授業を終えると、あっという間に帰りのHRを迎えた。 それから暫くして掃除が終わり、都合よく誰もいなくなった教室の自席で腕を添えて机に顔を突っ伏していた。 頭の中はずっと昨夜のことや先生のことでグルグルしているのに、言語化するのはしんどい。 〝先生に告白して付き合える〟なんて絵空事、叶うわけが無いと何も出来ずにいる自分と、それを軽々と叶えている人を比べてしまうと、とても情けないし、好きなこと自体が惨めになってくる。 〝普通〟に考えれば、先生に恋をしているなんておかしい。 私はおかしい子なのだろう。とか、余計なことまで考え始めて、唸りそうになっていた。 「…どうした、体調悪いのか?」 そのとき、突然そんな言葉が聞こえ、すっ顔を上げるとそこには心配そうに私を見つめてくる齋藤先生がいた。 「えっ、齋藤先生…」 びっくりしてワンテンポ反応が遅れ、慌てて席から立ち上がるが、先生は私の肩に手を添えてきて 「なにかあったなら聞くって言ったろ?」 と言って微笑むだけだった。 なのに、私は気が付くとまた席に座って、先生の方に体を向けて「先生、こんなことを言うのはやめようと思っていたんですが、お話があるんです」と言っていた。 「ああ、真剣に聞くから、聞かせてくれるか…?」 その包容力ある柔らかい言葉は、私の穢い恋心を包んでくれるようで、安心して言葉を紡いだ。 「私……齋藤先生のことが、好き…なんです!」 ……言ってしまった。 怖くて先生の顔が見れない、だから下を向いたまま、私は続ける。 その好きというのはライクじゃなくてラブなんだと。 すると先生は私の頭を撫でて言った。 「…ありがとな、嬉しいよ」 思わず俯いていた顔を上げると、その顔はとても慈愛に満ちた表情で私に笑い掛けていた。 そして私が「先生、それってどういう意味ですか」と言いかけた時だった。 「用のない生徒は速やかに下校するように」という放送が流れ、先生にも「また明日な」と言われたので、渋々鞄を肩にかけて学校を後にした。 家に帰宅するなり、私は自室に篭ってスマホを起動すると即座にTwitterを開いた。 「やばい、先生に告白したら振られるかと思ってたんだけど、めっちゃ笑顔で「嬉しすぎる、ありがとう」って言われちゃったんだけど!!やばい付き合える可能性あるのかな?!」 浮かれ気分で今日あったことを呟くと、すぐにいいねがついた。 ほぼ同時にリプも飛んできて、送ってきたリプの文章を目で追うと、そこには「でもそれって付き合えるとは言われてなくね?」と書かれていた。 思わず私はスマホの画面を消し、ベッドの上に放った。 ……たしかにそうだ、だけどあんなに喜んでくれたし。 そんな期待と不安が胸を渦巻いている間にも返信は増えていき、いいねの数は凄いことになっていた。 その数に興奮してしまい、ツイートした人にDMで〈先生は私の事どう思ってると思いますか?〉と送るとすぐに既読がついて返事が返ってきた。 〈それは本人にしかわかんないけど、少なくとも嫌われてはいないと思うから頑張って!〉 その言葉に勇気づけられた私は、齋藤先生の事を想いながら眠りにつくことにした。 翌日以降も、先生への好意をひた隠しにしながら過ごしていった。 そして迎えた昼休み、いつもなら小春ちゃんと話す時間だったけれど今日は用事があるといってすぐに教室を出てしまったので、1人で昼食を取ることになった。 ……そういえば最近先生と話せてなかったな。 なんて思いながら、やはり付き合えるのか付き合えないのか決定的な返事を聞かないことにはモヤモヤし続けてしまうだけなので、私は教室に戻ってきた先生に本音を聞くべく、素早く話しかけた。 「あの、先生、昨日の返事って、どういう意味なんですか…?」 勇気を振り絞って問いかけると、先生は少し驚いた表情をした。 そして一度咳払いをしてから真剣な表情で私を見つめてきた。 先生の目にはどこか不安げな自分が映っていて、それは期待感からか恐怖心からかはわからなかったけれど、私は先生の言葉を待っていると、先生は口を開いた。 「付き合うことは出来ないな」 「それは…私がまだ子供だから、ですか………?」 先生のストレートな言葉に、つい聞き返すと 「ああ、ネネに好かれるのは嬉しい。でもその年齢で、今先生に抱いている感情を恋というには軽すぎるんじゃないか?」 「えっ」 振られるどころか、先生への〝好き〟という恋愛感情を否定され、癇癪を起こしそうなほどに動揺してしまった。 「もう少し冷静になって考えるべきだと思うな」 そんな私にお構いなく自分の意見を押し通すかのようにそれだけ言い残して、私を通り過ぎて教卓に向かい、また女子の群れに囲まれた。 私は帰宅中の電車の中で壁に腰かけて、スマホを起動するとTwitterを開いて、ひとつのツイートをした。 「先生の気持ちがようやくわかった、先生と私は両思いみたい。でも先生はちゃんとしている大人だから『卒業したら付き合おう』と遠回しに伝えてくれた。私に好かれてるのが嬉しいんだって。先生はきっと、私が先生を選ぶことに後悔をしないかを心配してくれてるんだね、先生…そういうところが大好きなんだよ」 それは、私が先生に告白したことを表す呟き。 そのリプ欄は祝福で充ちていた。 〈すごい、おめでとう!〉 〈なにこの青春〉 そんなリプライが沢山届いていて、私はそれを眺めながら 「みんなありがとう」 それだけ呟いてベッドに身を沈ませた。 それからも齋藤先生への好意を呟く度にいいねがついていき、DMでも応援のメッセージが届くようになった。 その翌日───…私は病院に来ていた。 そこに行く発端となったのは今朝のこと 母はどうしてか、私に「ネネ、病院に行きましょう」と言ってきた。 唐突にそんなことを言われ、戸惑う私をよそに 「そうしましょう、知り合いにいいカウンセラーがいるの!ネネのためにもカウンセリングしてもらった方がいいわ」 言いながら、母はスマホを手に取って誰かに電話をかけ始めた。 その通話が終わるのを、私は呆然としたまま眺めていた。 数分後、母と車に乗り到着したのは心療内科で、緊迫とした雰囲気になんとなく緊張してしまう。 そして今に至るのだが── 中に入って受付を済ませた後、広い待合室で椅子に座って待っていると看護師さんに声をかけられた。 診察室に通されるとそこには看護師の女性と白衣を着た医師の男性が居た。 2人は私に気が付くと軽く会釈をして椅子に腰掛けるよう促してきたので素直に従うと「今日はどうされましたか?」と聞かれ 未だに状況が理解出来ていない私の代わりに母が男性に 「うちのネネが最近おかしいんです。担任と付き合ってるだとか両想いだとか…ネネの嘘だとは思ってるんですけど。」 すると、医師の表情が険しくなり診察室に緊張が走ったがすぐにその重そうな口を開いた。 「そうですか…ネネさん、いくつか質問をするので正直に答えてもらえますか?」 私が頷くと問答が始まった。 「お母さんに話したことは全部本当のこと?」 聞かれ、縦に首を振る。 「それじゃあ、どうして担任と両想いだと思うのかな、その人は教員なんだよね?」 「ううん、だって先生に告白したら嬉しいって言ってくれました。それに先生は独り身だし…先生は大人だから、建前で付き合うことはできないと言ってきたけど、遠回しに卒業したら付き合おうってことを言ってくれたんです!」 途中、声を荒らげて言い返し、先生と私は相思相愛なんだと言おうとしたところ、遮るように医師は言う。 「わかりました。とりあえず、1度カウンセリングを受けてみましょうか」 そうして数分後、私は別室に連れて行かれた。 カウンセラーさんの自己紹介が済み、私も名前、好きな物、学年を教えると、さっき医師に話したことを再び聞かれた。 「担任の先生が好きなんだっけ?どんなひとなの?」 「この人です!」 そう言って私は写真フォルダのお気に入り登録している300枚近くの写真を画面越しに見せた。 「…そう、どうしてこんなにその人単体の写真が?」 「好きなものは撮りたくなる。先生は好きの一部だから、撮らせて貰ったんです」 「ネネちゃんの中ではその人は恋人なのね?」 「いえ、先生の中でもそうだと思います。」 自信たっぷりにそう言うが、カウンセラーさんは険しい顔のまま私に言う。 「よく思い出して、それはあなたの妄想なの」 「も、妄想…?」 「そんなはずない、だって私は先生の恋人です!付き合ってるんです…!」 そんな酷いことを決定打にして言うなんて嫌なカウンセラーだと思った。 「ネネちゃんのはね、妄想着想っていうのよ」 「もう、そう……ちゃくそう……?」 初めて聞いた言葉に首を傾げた。 「いい?唐突に「私は先生の恋人だ!」とか「俺って神様なんじゃないか…?いや、絶対そうだ!!」と思ったり、突然何らかの原因、動機なしに、異常な考えを思いつき確信することを妄想着想というの。」 「何よりの証拠に、ネネちゃんは担任の先生と付き合っていると思い込んでいるでしょ?」 「え……?私と先生は付き合って、ます…」 「ネネちゃんと担任の先生は付き合ってない。まず教師と生徒の建前上ありえない話なの。」 そんなはずない そんなはずがない 私は先生の恋人だ おかしいのは周りだ 「……っ、そんなの嫌だ、そんなの認められないしおかしいよ、だって先生は独身で私の担任なのになんで否定してくるんですか…」 そんな私を落ち着かせるようにカウンセラーさんは言う。 「ネネちゃん落ち着いて、質問攻めにしてごめんなさいね。とりあえず、今日のカウンセリングはここまでにしましょう」 でもそれは私を諭すような優しいものではなく、私が妄想を現実だと思い混んでいる狂人であるかのようなものに見えた。 そうして私はカウンセラーさんに連れられて部屋を退出して、受付にてお母さんと一緒に 「失恋のショックで戸惑ってしまい、現実を上手く受け入れられないのだと思います。ですのでお母さんは今は無理に理解させようとせずに、見守ってあげてくれるとネネさんの心の安定にも繋がるかと。」と説明を受けた。 「それとネネさんは、恋愛以外のことに集中する時間を作ってみてください、生活に支障があるようなら、少し意識的に恋愛から離れる時間を持つほうがいいでしょうし、それでも悪化するようでしたらいつでもご連絡ください。」 私と母は相槌しながらお礼を言い、病院を後にした。 車での帰り道、考えていたのは齋藤先生のこと。 家に着いた私は何もする気力も起きず、ベッドの上に身を委ねていた。 すると病院でカウンセラーさんに言われたことを思い出して 【これはあなたの妄想なの】 【まず教師と生徒の建前上ありえない話なの。】 唐突に悟った。 この恋は叶わない、と。 「先生が好き」 そう幾度も思い、恋焦がれていた。 でも、想えば想うほどそれは遠くなっていたということだ。 先生が言った【付き合うことはできないな】はそのままの意味で 【ネネに好かれるのは嬉しい。でもその年齢で、今先生に抱いている感情を恋というには軽すぎるんじゃないか?】 という返事を、私は自己防衛から都合のいいように解釈しようとした? そう思案すると闇に飲まれそうで、先生に拒絶されたと勘違いした上、その言葉を受け入れられずに付き合っていると思い込んでいるだけ…? この恋が、喉に引っかかるようでとても苦しい。 『好き』を口にするたび、感じる度に胸が締め付けられて泣きそうなのに、涙の一滴すら出ない。 翌日、高校に行き教室に向かう廊下で齋藤先生とすれ違って目が合うと、先生はいつものようににこやかにか「ネネおはよう」と言ってくれた。 「先生、おはようございます」 聞きたいことを胸の内に閉じ込めて相応の挨拶をすると、階段を降りていく先生の背中を見て 抑えが効かなくなって、気づくと背中に飛び込んで抱きついていた。 「ねえ齋藤先生、本当に私じゃダメですか」 そう問いかけると、先生は一瞬驚いたような顔をした後すぐに困ったような笑顔になった。 やっぱり私じゃダメなんだ。 それでも諦めきれない自分がいて、先生のシャツをギュッと握った。 すると先生は私を引き剥がすように距離をとって言う。 「ネネはまだ子供だ」 「これからもっと色んな人と出会っていくんだから」 そんな先生の言葉に胸が締め付けられた。 もうこれ以上聞きたくないと気がつくと私は学校を飛び出していた。 好きになってごめんなさい 告白してごめんなさい 告白なんかして迷惑かけてごめんなさい もうなにもかもしんどい 頭の中がそんな言葉でごちゃごちゃになりながらしばらく無我夢中で走った後、ちょうど視界に入った公園のベンチに腰掛けた。 頬を流れる水は汗か涙かもわからないままでいると、スマホから着信を知らせる音が鳴った。 〈ネネ、さっき飛び出していくの見えたんだけど、どうしたの?〉 そんな小春ちゃんからのメッセージに返信する気力もなく、既読だけつけてポケットの中にしまった。 ただ呆然と雲行き怪しい空を見上げているとポツポツと雨が降り始めてきた。 それは次第に勢いを増していき、叩きつけるような雨が全身を打ち付けた。 もういっそこのまま雨に溶け込んで、存在ごと消えてしまえたらいいのに。 もう、なんだか世界が真っ暗に見えた。 考えてみれば…先生に出会ってから、脳が細く痩せるみたいにバカになって惹かれていった。 最初は憧れのような存在だったものが、憧れから恋に変貌したのをよく覚えている。 「もっと、大人な自分…で、違う…違う出会い方をしたかったな…っ」 先生じゃなきゃだめなのに、あと一年後には卒業が待っていて、卒業してしまえばもう名前すら呼べなくなる。 初めて一緒にお弁当を食べたこと 名前を読んでくれたこと 目が合って死にそうなほどキュンとしたこと 放課後に勉強を教えてくれたこと 頭を撫でてくれたこと 頑張ったと褒めてくれたこと 笑いかけてくれたこと 全部嬉しくて素敵な思い出 なのにそれすら、記憶ごと抹消したくなる 優しい声、笑顔、仕草全てが尊くて愛おしくて、忘れることなんてできっこないのに。 『困らせちゃいけない』 そう思っていたのに、結局さっき、先生の笑顔を崩してしまったじゃないか。 私はどれだけ馬鹿なんだろう、そう後悔してしまうけど、同時に、どれだけ困らせたとしてもこの〝好き〟を通じ会いたかった。 同じ気持ちになってくれないかな、なんて気持ちが大きくなって、先生の背中に抱きついてしまった。 「先生の背中…暖かくて、優しかったな…」 先生を好きになるには傲慢で、蒙昧すぎたのかもしれない。 こんな厄介な気持ちを先生に押し付けるのは迷惑だ。 でも、今だけは許してほしい。 誰にも邪魔されないこの場所で、どうか今だけでもこの崩れそうな愛を慟哭させて。 私はもう何も望まないから、泣き止むまでの少しの間だけでいいから。 針のようにか細い大粒の雨がどしどしと降り、ベンチに座ったまま雨の匂いを吸い込みながら私は小さな子供みたいに顔を歪ませて、声を殺して泣き出した。 次第に、今まで我慢していた感情が堰を切って溢れ出した。 「っ……、好き……!大好きぃ……っ!先生のこと好きなのに……!なんで付き合えないのぉ!!やだよぉ……っ!!」 それでも返事は来ない。 「ぅあ"ぁ"ぁぁあっ……!!う"ぅ〜っ!」 私はもう子供じゃない。でも大人でもないんだ。 雨は止むことを知らず、涙も枯れて言葉も出なくなった頃、スマホが振動した。 画面を見るとそれは小春ちゃんからの電話だった。 「もしもし……小春ちゃ……」 『ネネっ、今どこ!』 「……学校、近くの…公園」 『今早退したからそっち行く。そこで待ってて』 私に有無も言わせぬうちに電話は切れてしまった。 「小春ちゃん……心配してくれたんだ」 でも今は誰にも会いたくない、こんな泣き腫らした顔、見せたくない。 そんなことを考えていると、顔は俯いたまま上がらないし涙も止まってはくれなかった。 雨が少しだけ優しくなり、こちらに向かって走ってくるような足音が聞こえた。 「ネネ…!!」 「っ、小春ちゃん」 ピクっと顔を上げると傘をさしながら息を切らして公園に駆け込んでくる小春ちゃんの姿があった。 「そんなに目赤くして……もう……!」 そう言って私の目線に合わせて屈んだ彼女からハンカチを差し出され受け取ると、それで涙を拭った。 「……隣、座っていい?」 「……」 私何も言えず、コクっと頷くことしか出来なかった。 「私は大丈夫だから……」 枯れた声で必死に言葉を紡ぐが、無駄な抵抗だった。 「大丈夫じゃないじゃん!そんな泣いて……あらかた、齋藤先生のことなんでしょ?」 図星を突かれて顔を上げて小春ちゃんを見ると「それぐらいお見通しだし」と返され、その流れで、失恋したことを話した。 すると彼女は私を抱きしめて、諭すように囁いた。 「本当にネネは先生のことが大好きなんだね、でも先生はネネのことが面倒になったとかじゃないと思う。ネネが大切な生徒だから、できる限り傷つけないようにしてくれたんだよ」 それでも私は納得できずに相槌すら打てないでいると、小春ちゃんは根気強く私に向き合ってくれた。 「でもさ……これだけは言わせてもらうけど、今が無理なら卒業後にまた告れば良くない?」 その言葉に思わず小春ちゃんの方を向いた。 「ネネ、1番大事なこと忘れてない?卒業までにあとたった1年!その間にいい点数とって先生に好印象与えといて、卒業後に告ればなんも問題ないじゃん!?もう生徒と教師って関係でもなくなるんだし?」 そうだ、卒業さえしちゃえば告白なんてし放題だし、一人の女と男になるんだ。追いかけることだって許される。何も焦ることはないんだ。 でも先生は20代後半で、この差は縮まることはあっても無くなることはない。 「じゃあ私…まだ、諦めなくていいってこと……?」 私の言葉に彼女は続けた。 「そういうこと!……それが分かったんなら、こんなとこでウジウジしてないで、教室戻ろ?…ね?」 「うん」 そうして私は、小春ちゃんに手を引かれて学校へ戻った。 それからというもの、先生と普通に接し、毎日勉強に明け暮れ、テストで結果を出していった。行事もクラス団結となって頑張って、楽しんで、卒業する頃には小春ちゃん以外の優しい友達にも恵まれた。そうして迎えた卒業式。私は先生を空き教室に呼び出して、独白をした。 「先生、今まで沢山迷惑かけてごめんなさい!でもなにより、素敵な思い出をありがとうございました。私、先生に出会えてよかったです!先生は……私の初恋の人です!」 そう告げると先生は照れたような困ったような顔をしていたが、最後に深々とお辞儀をした。そして顔をあげた瞬間にはいつもの笑顔だった。 私が恋した大好きな人の笑顔。 『きっとこれが最後で、この笑顔を見ることはもうないかもしれない』なんて思いたくない、でも、最後になるのが怖くて、最後しないために私は言い放った。 「先生、私もう18歳の成人です。大人です!…だから卒業して、まだ先生が独身だったら、私を先生の隣にいさせてくれませんか?」 それが最後の抵抗で、最後の告白だった──。
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