歌は剣よりも

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 深夜の某国。人里離れた研究施設に軍の特殊部隊が派遣された。  隊員たちが警備室に機器や武器弾薬を運び込んで設営をしていると、隊長が入ってきた。 「みんな集まってくれ。我々の任務を伝える」  隊員たちは作業の手を止めて隊長の前に整列した。ひとりが言った。 「隊長、いま副隊長と隊員2名が敷地内を見回り中です」 「副隊長には先に伝えてある。今ごろ二人に話をしているだろう。さて、我々は今日突然、これまで存在すら知らなかったこの施設に連れてこられた。ここは軍の上層部でも限られた者しか知らない研究施設だ。我々は今から24時間体制でここの警護を行う。それが今回の任務だ」 「隊長、我々が呼ばれたということは、相手は他国の工作員とかプロのテロリストですか?」 「最近、我が国で軍関係者の不幸や軍事施設での事故が相次いでいるのは知っているな」 「はい。マスコミには伏せていますが、国内経済と国際関係の悪化による重度のストレスが、集団自殺や銃の乱射その他破壊行為を発生させていると聞きました」 「表向きにはそうだが、実は他国の工作員によるテロの可能性が高い」 「隊長、軍の監視カメラには、我が軍の関係者が行った映像が残っていたと聞きましたが」 「その通りだ。だが数少ない生存者がみな歌が聞こえて我を失ったと証言し、発生時刻の現場周辺の監視カメラには、いつも同じ国の人間が映っていた」 「どこの国ですか?」 「日本だ」 「日本⁈ 確かに関係は悪化していますが、あの国は巨大な軍事力があっても憲法で自衛にしか使えなかったはずです」 「だから非公式な工作員による破壊行為を選んだのだろう」 「ですが、現場に銃器や爆発物を使用した痕跡は残っていなかったと」 「歌による洗脳だ」隊長は隊員たちの表情を伺った。「信じ難いかもしれんが、20世紀前半に発売された『暗い日曜日』という歌は、欧米で多数の自殺者を出したと言われている。歌は人の心を動かす。研究熱心な日本人が歌を武器に変えても不思議はない。実際に日本には至る所にカラオケと呼ばれる訓練施設があり、24時間365日、老若男女を問わず訓練が行われている。そして国営放送が毎週『のど自慢大会』を開催して素質者を発掘しているのだ」 「隊長、我が国に対抗手段はないのですか?」 「歌では物的証拠が残らないから正式な抗議はできない。武器弾薬はおろか軍人の体格も持っていないので入国時に見分けることも不可能だ。今の我々にできることは迎え撃つことだけだ。だが、こちらにも対策はある」 「そのダンボール箱の中身ですね」女性隊員が部屋の隅に山積みにされたダンボール箱を指さした。「先ほど中身を確認したら、大量のヘッドホンが入っていました」 「その通りだ。インカムの上から長時間つけても耳が痛くならないし、外部の音を完全に遮断してくれる優れモノだ。残念ながら日本の通販だが」 「やっぱり。箱ばかり大きくて中は梱包材だらけでしたから。でも隊長、日本人が我々も知らなかったこの施設をどうして知ったのでしょうか」 「先日自殺した大物政治家がここの設立メンバーのひとりだった。心をあやつられては秘密なんぞ無いに等しい。…具体的な警護プランは副隊長たちが戻ってからにするか。いったん解散だ」 「了解─」  隊員たちが設営に戻って作業を再開した時、先ほどの女性隊員が壁のモニター画面のひとつを見ながら言った。 「隊長、副隊長たちが戻られました──でも、様子が変です」  画面には通路を歩く副隊長、後ろに2名の隊員、さらにすぐ後ろに施設の警備員数名がおしくらまんじゅうのように密着して続いている。  隊長がインカムで話しかけた。 <副隊長、なぜ外の警備員を連れてきた。センサーがあるといっても警護が手薄になるぞ!> <隊長、私は生まれてからこんなに感動したことはありませんでした。みんなにもぜひ聴いて欲しい歌があるんです> <そこで止まれ!──後ろの警備員たちの中にいるのは誰だ?>  隊長は女性隊員に言った「警備員の間を拡大してくれ」画面が大きくなると警備員たちに囲まれて背の低い小太りの男がいた。アジア系の顔。隊員のインカムをしている。男の口が開いた。 「みんなインカムをはずせ!早く!耳をふさげ!」  隊長は自分のインカムを投げ捨てると近くの隊員のインカムも引きはがした。捨てたインカムから男の歌声が聞こえてくるので両手で耳をふさぐ。 「ヘッドホンをつけろ!これでは両手が使えないぞ!」  皆が山積みのダンボール箱に集まってヘッドホンをつけていたその時、大量の血飛沫が舞って次々に隊員が倒れた。部屋の反対側に自動小銃を構えた若い隊員が立っていた。目がうつろだ。インカムをはずすのが間に合わず、歌を聞いてしまったのだ。 「隊長、みんな、いっしょに地獄に行きましょう…」 「許せ」隊長はそう呟くと腰から拳銃を抜いて素早く彼を射殺した。そしてメモ用紙に指示を書き殴ると生き残った隊員たちに示した。 『副隊長たちが戻って来る。結果を確認しに必ず室内に入る。隠れて私の合図で迷わず撃て』  全員が自動小銃を手にすると、各々物陰に身を潜めた。  程なく入口の扉が開く。副隊長と隊員が自動小銃を構えて入ってきた。続いて警備員に囲まれた日本人。副隊長たちは床の遺体を順番に確認し始めた。日本人は警備員たちの中に隠れて動こうとしない。 (だめだ。日本人は用心深い。このままでは我々が先に見つかってしまう)  隊長は手を挙げて合図すると自動小銃を構えて飛び出した。  !!!!──  何が起きたのかわからなかった。自動小銃を連射した瞬間、ものすごい衝撃を受けて隊長は部屋の隅まで吹き飛ばされていた。身体のあちこちが痛んだ。肋骨が折れて内蔵もやられているかもしれない。しかし、自分が大量のダンボールと梱包材に突っ込んで命拾いしたことに気づくと怒りが湧いてきた。 「クソ!日本めが…」  何とか立ち上がって部屋を見渡すと、あまりの状況に言葉を失った。部屋中の什器が破壊されてなぎ倒され、無惨な姿の遺体が散乱している。生存者はいない。ただ、爆発とは異なり火の気が全くない。 「そうか!」  ヘッドホンをしていたのでわからなかったが、これは超高周波による破壊だ。衝撃波に近いのかもしれない。やつは音を自在に操れるのだ。警備員の遺体の損傷が激しいのは、発射元があの日本人であることを現わしている。 (やつはどこへ行った?)  壁のモニターも壊れていたが、ひとつがかろうじて使えた。研究室に向かう通路を、日本人が警備員2名を従えて歩いていた。 (まずい、早く阻止しないと。しかし3人同時に仕留めない限り、やつに声を出されたら負けだ……おや?)   画面を拡大すると日本人の口が動いていた。 (もしかすると洗脳には効果時間があって、歌をやめると洗脳が解けるのかもしれない。だとしたら勝機はある!)  隊長はある物をみつけて抱えると、痛む脚を引きずって後を追った。  3人の後ろ姿を見つけると隊長はヘッドホンをはずした。この作戦は音が聞こえないと勝てない。それに勝負は一瞬で決まる。  隊長は気づかれないぎりぎりまで近づくと、ヘッドホンを投げつけた。3人が振り返って隊長を見た。 「くらえ!」  3人の顔に向けて隊長は持ってきた消火器を噴射した。あたりは白煙に包まれ、3人は床をのたうち回った。隊長は日本人が激しく咳き込むのを聞き逃さなかった。日本人に近づいて自動小銃を向けた。 「歌えなければただの人だな。地獄に落ちるがいい!」  その時、館内放送を使って女の歌声が流れてきた。この世の全ての不幸を背負い込んたような、重苦しく暗い歌声だった。 「しまった…」すでに手遅れだった。聴いたら死ぬとわかっているのに、続きを聴きたくて仕方がない。そして聴くほどに憂鬱な気持ちと自責の念が高まっていく。 (大勢の仲間が犠牲になったのも、工作員を取り逃がして祖国を危険にさらすのも、全ては私のせいだ。もはや死んで責任を取るしかない)  隊長は腰の拳銃を抜いた。 (最後の失敗も私の判断ミスだ。達人は孤高で単独行動するという先入観で、敵がひとりと決めつけてしまった。いま考えてみれば日本人がひとりで来るはずがない)  拳銃をこめかみに当てる。 (事前に日本人の特性は頭に入れておいたはずなのに…)   引金にかけた指に力が入る。 (日本人の海外旅行は団体ツアー…)
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