第一話・十和瀬幸弘

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第一話・十和瀬幸弘

 此の暑さから一刻も逃れたいと、待ち望んだ(こよみ)が過ぎても夏は終わらなかった。それでも終わらない夏を耐えていれば、しのぎ易い季節を迎えられる、と思う間もなく涼しさは通り過ぎて、朝夕は肌寒ささえ覚える。急に涼しさを堪能する処か、日陰から日向の方を選んで歩く頻度が増して来た。それは十一月の声を聞けば普通だが、問題なのは十月だ。此の神無月まで季節は夏を引き摺ったのだ。新車に慣らし運転が要るように、人には気候の変化に順応する準備期間が必要だが、付いて行けないほどの急激な気候の変化だった。気候が合わなくても、人の営みは暦に合わせて繰り広げられるが、造り酒屋を営む十和瀬家ではそうはいかない。それに輪を掛けたのが十和瀬幸弘(とわせひろゆき)だ。彼は自然や社会が変わろうとも、自分の生き方を変えない、いや、変えられないのだ。  そんな男と小谷祥吾(こたにしょうご)は高校時代から付き合いのある十和瀬幸弘と約束して待ち合わせた。付き合いがあると謂うより、会う機会が今までの惰性で続いてしまったと言う方が良いだろう。人はこう言う相手も、友人と十把一絡げに言うが、付き合い方に依って、どの分類にも当て嵌まら無いのが十和瀬幸弘だ。だから面倒くさい相手には友人だと紹介するが、濃厚な人間関係を築く相手には、長い付き合いが続いている変な奴だと言って退()けた。  彼の風貌はいつもと変わらぬ洒落っ気のない野暮な服装だ。それでも髪は何とか手入れしている様で、七三にして左へ髪を流していた。無償ひげもなくサッパリといつも剃っているのは、あの口うるさい妹への配慮だろうか。まあその妹の期待に彼奴(あいつ)はまだ応えられずにいた。そんなことを考えながら彼奴の所まで近付いた。向こうはもう早々と着いたらしく、手持ち無沙汰に煙草を吸っていた。十和瀬の足元に落ちた吸い殻の数でそれが分かった。 「待してすまん」  と一応は長い付き合いから生じた感情を抜きにした顔で詫びた。
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