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第九十一話・菜摘未と境田
菜摘未の言った「悪くないわねぇ」これには苦笑した。
結局、生理的嫌悪感が湧かないだけましだろうと言ってやった。
それは嫁入り先の環境でなく、素朴な田舎の雰囲気を言ったのだろう。なんせ伏見では酒造会社が林立する此の辺りは、狭い路地に木造の民家が建て込んでいる。狭い範囲で大方の品物が手に入る便利さよりも、遠くの山河が手に取るように見える風景に憧れたのだろう。彼もまだ菜摘未への希望は捨てていないようだ。そう思って訊ねた。
「どんな所なんだ」
彼の田舎は京都駅から特急に乗り、綾部駅で舞鶴線の普通列車に乗り換える。都合一時間半揺られて、低い山に囲まれた盆地が点在する、丹波山地の山間部にある渕垣と謂う駅だ。
「すると例の見世物は丹波のその無人駅で演じられたのか。なんぼ無人駅でも向かいのホームには人が居るだろう」
「それは単線ですから周りはひと気のない田舎で、田んぼと雑木林ばかりです」
「それじゃあ観客は君独りで、彼女の独演会か」
「まあ、そうなりますね」
菜摘未の奴はどうしたんだ。俺の目の前ではそんな戯れ事は見せなかったのに……。しかし此の男には、余計に見せたくないはずだが、俺への当て付けなら話は別だが。
「いつも込み入った町中に居て、急に開けた周りの風景に気持ちが躍らされたか、なんかの鬱憤晴らしに戯けたんだ。どっちにしても羽目を外したかったんだろう」
「羽目を外したかったなんて、なにからだろう」
これには差し障るといけないと知らん振りを通した。
「他にはデート中でなんか突飛押しな出来事なんか有ったのかなあ?」
これには怪訝そうに見つめられた。
室内ならともかく、たとえ人の居ない野外でも、役者でない者には普通はあり得ない行動だ。
「いや、なんせ小学生の頃から菜摘未を見ていた者としてはあり得ない。全く初めての出来事に境田さんの前では他にもありはしないかと気になって訊ねたまでですよ」
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