第九十八話

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第九十八話

「そこまで言われるのでしたら菜摘未さんが小谷さんに直接交渉すべきでしょう」 「それはさっも言ったように(わだかま)りがあるのよ」 「どんな?」 「あなたには訊く権利はないわよ」 「好きなら聞く権利はある」   ハア? 誰が? と言う顔をされた。ちょっと(ほお)に血液が余分に廻ったのか、それとも仏師がノミの手許を一振り狂わしたのか、今のひと言で仏像の(ほお)に丸みが増した。 「今、あなたと付き合っているのは此の僕でしょう」 「もう〜、うぬぼれないで、いつ言ったのよ」 「いま」  またハア? と謂う顔をされた。今度の一撃は仏師のノミがさらに手元で大きく狂ったのか、さきほど出来た(ほお)がさらに丸みに帯びて、これでは菩薩どころか、凹凸の少ない能面になってしまう。 「いつまでもあなたの冗談には付き合いきれないわよ」  それでも境田は、無人駅で演じられた菜摘未の、演目を静かに鑑賞したと述べた。 「アラ、そんなことあったかしら?」  と憎めない顔付きで上手く惚けられた。躱された境田は、ぐっと噛み締めて残る次の一手を考えた。だがこの人には何を語ればいいのか、悶々として言葉が見つからない。ふとテーブルを見ると珈琲は空になってる。もう切り上げるのかと、境田は試しに珈琲の追加を頼むと彼女も同調した。これで千夏さんとの話はまだ残っていると解釈した。 「それじゃあ今一度聞きますが、本当に十和瀬酒造の売り上げに貢献したいんですか?」  今さらながら愚直な質問だと思いながらも試してみた。 「もうどうでもよくなった」  ウッ、とつばを飲み込んだまま、暫く思い巡らせたが何も出て来ない。 「何が、今回の景品付き限定販売の件ですか」  菜摘未がハア? と今度は素っ頓狂に張り上げた。 「アラ、そう、今、その話をしてたんだったのね」
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