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2.さらわれたお姫様
エステル様はしみじみと頷いた。
「生きているのは、確かに不思議ね。こうして人間界に戻ってくると特にそれを実感するわ。魔物に囚われていたときのことは、本当に、どういうことだったのか全くよく分からないの。幸いなことに魔物には丁重に扱われて、とはいえ私も何が命にかかわるか分からなかったから気を付けながら暮らしていたら、何か毎日が怒涛のように過ぎて行っただけなのだけど」
「騎士様は、エステル様を助け出すのに相当な苦労をなさったでしょうね」
「ウィルヘルム様はあまり多くを語らない方なの。だから私も彼の冒険の道のりについてはよく分からないわ」
エステルが首を竦めたのを見て、何だかブランカは変な心持がした。
うちの父はあんなに騎士を質問攻めにしているのに、こちらのエステル姫の方はというと騎士のこととなると関心が薄く、だいぶあっさりとしているなと思った。
「では魔物をやっつけたときは? さぞ壮絶だったではないかと想像しますけど。他の騎士たちが敵わなかった魔物──ウィルヘルム様はどれだけ勇ましい方なのでしょう──」
とブランカが言いかけたとき、エステル姫が被せるように言った。
「ごめんなさい、魔物をどう退治したかもよく分からないの。ウィルヘルム様が『お助けに上がりました』と私を解放してくれたときに、床には息絶えた魔物が血だまりの中に沈んでいたくらい。ウィルヘルム様は衣服もボロボロだったし返り血も浴びていたので、大変だったのかなあとは思ったけど」
エステル姫はそう言いながら不快そうに口の端を歪めていたので、ブランカは自分の失言に慌てた。
「ま、まあそうですよね。申し訳ありませんわ、姫様ともあろうお方にそんな血なまぐさい話を思い出させるようなこと」
その言葉にエステル姫は大きく頷く。
「本当にその通りなの! 血とか見たくなかったわ。それに、この旅路一つとっても大変でした。山もいくつ越えたか分りません。山って幾重にも重なっているものなのですね。一つ山を越えたらその向こうには森があって、その向うにはまた山があって、森があって。なんて遠いのかと、これを全部歩かせる気なのかと、頭がおかしくなるような気持がしました。魔物の住処の方がよっぽど快適だと思ったくらいです」
この言葉にはさすがにブランカはエステル姫を窘めないわけにはいかなかった。
「エステル様。それは仰ってはいけません。ウィルヘルム様の苦労を踏みにじるような発言かと」
「そうかしら」
エステル姫は気にも留めない顔をしている。
ブランカは苦笑した。
「でもこうしてエステル様が無事に自由を取り戻して、そして国に帰ってこれたことを喜ばしく思いますわ。いったんこちらのお城に立ち寄られたのも歓迎いたしますわ。どうぞゆっくり体を休めてくださいましね」
「ええ! 本当、やっと生きた心地になったわ! ずっと森の中だったんだもの、果物くらいしか食べられないし、寝床も最悪、服も擦り切れてしまったし。ここに来て、やっと相応に扱ってもらえるようになってほっとしているの。ここで身支度を整えさせてもらえたらとても助かるわ。ボロボロの身なりで街を歩いていては、せっかくの“助け出された悲劇の王女”が台無しでしょう。これは奇跡の生還なのだから、一人の騎士が勇敢にも私を助け出すことに成功した感動の物語なのだから、それを皆に知らしめながら堂々と王都に帰るべきだと思わない?」
ブランカはエステル姫の少し芝居がかった物言いに驚いたが、素直に同意した。
「そうですね、人々はこの奇跡を口々に噂するでしょう。熱狂すると言っても過言ではないかもしれません。ボロボロの衣服では気の毒ですから、もちろん王都へ帰るためのできる限りの準備を手伝させていただきます。――このデイモンド領は、エステル様のいうところの未開の地に隣接しており、人間界に戻って来る玄関口にあたりますが――でもここからは人間の住む土地ですから、安心なさってくださいね」
「ありがとう。あなたのお父さまも快く承知して下さったわ。王女が王宮に帰るのだからパレードでもしてもらわなくちゃねって言ったら、お手伝いしますよって。だから私の帰還の日取りも今王宮に問い合わせているところよ。盛大に祝ってもらいたいじゃない?」
エステル姫はとても楽しそうに計画を話してくれる。
ブランカは『パレード』というエステル姫の発想にまたも驚いた。しかし、それが久しぶりに故郷に帰れる王女の望みならと肯いた。
「王様にはご連絡済みなんですね。きっと王様もパレードをお許しくださるわ。大事な王女様の奇跡の帰還ですよ、たいそうお喜びになっているでしょう! 王宮に帰るのが待ち遠しいですね」
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