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5.真面目そうな騎士
その時、都合よく侍女が「エステル姫のお部屋の準備が整いました」と伝えに来てくれたので、ブランカは半分事務的にエステル姫を客間まで案内し、そしてそそくさとお暇してきた。
ブランカが退出するとき、エステル姫が笑顔で「では、例の件よろしくね」と念を押すので、ブランカは陰鬱な気持ちになった。
なんか厄介な妖怪に出会った気分だった。
最初は『魔物に攫われたお姫様』とかいうドラマチックな話に感動したけれど、ふたを開けてみたらただの騎士への愚痴だった。
なんだろう、“救い出してくれる騎士”に期待しすぎちゃったのかな? かっこよくて優しい白馬の王子様を夢見ちゃってた? それで、理想と現実のギャップに怒っちゃったとかそんな感じ?
だって、あれでしょ? 魔物の世界にいたんだもの、エステル姫、絶対恋愛経験ないでしょ? いや、え? もしかしてあるの? まさか魔物と恋愛? え? そっち? 魔物との恋愛経験が凄すぎて一介の人間の騎士なんか相手にできないとか、そういう?
――いやいや、なわけないだろ。
ブランカの頭の中は取り留めのない妄想で訳わけ分かんないことになった。
「やめよう」
ブランカはぶんぶんと妄想を払った。
しかしブランカはまだ心の中で首を傾げている。なんだか自分まで巻き込まれたことがやっぱり腑に落ちないのだ。
「騎士と結婚したくないとか、自分で言えばいいのに。なんで私が言うことになってんの?」
果たしてどうしたものかとぼんやり思いながらブランカが自室へ向かって歩いていると、何やら曲がり角の向こうで人の声がする。
あの大きな声はお父様だな~、何を騒いでいるのやら、と思っていたら、
「まったくもう、うちのブランカはどこに行ったのやら!」
と聞こえる。どうやらブランカを探しているようだ。
「あ、お父様、私はここに」
とブランカが小走りで角を曲がると、そこには父デイモンド子爵と、一人の精悍な騎士がいた。
ブランカは(あ、これが例の騎士だな)と思って、エステル姫から仰せつかった任務の重圧にげんなりした。
「おまえ、せっかくの客人になんて顔をしているんだ」
デイモンド子爵がブランカを窘める。
「あー、えーっと、私はブランカ・デイモンド。娘です。で、あなたがウィルヘルム様ですね?」
ブランカがそう挨拶すると、デイモンド子爵は驚いた顔をした。
「もう知っているのか」
ブランカは苦笑する。
「さっき中庭でエステル姫にお会いしました。軽く事情をお聞きしたんで」
軽くどころがだいぶ込み入った話もあったけど、と心の中で少し毒づく。
しかし、その場にいた騎士は無邪気に顔を高揚させた。それはまるで『エステル姫』という名前に無条件に反射しているかのようだった。
「そうですか、エステル姫に! 私はウィルヘルム・マクレーンと申します。この度はこちらの城で少々お世話になることになりまして」
ブランカは、騎士の純真さと先ほどのエステル姫の愚痴とが同時に思い出され少し心苦しくなったが、表面上は笑顔をくずさずに答えた。
「はい。歓迎いたします。たいへんな旅でしたでしょう。私もできるかぎりのことはお手伝いさせてもらえたらと思っていますので」
「ありがとうございます。デイモンド子爵もたいへん親切にしてくださるのに、ブランカ様までそのように言ってくださるとは」
ウィルヘルムは、まさかブランカがエステル姫から自分の悪口を聞かされているとは思ってもいないので、さわやかな笑顔でお礼を言った。
ブランカはウィルヘルムの屈託のない笑顔を見ながら、なんだか陰口を言われててかわいそうだな、と思った。
デイモンド子爵の方はにこにこしたまま、
「ブランカ、ウィルヘルム殿も疲れていると思うのだ。ウィルヘルム殿を客間に案内して差し上げてくれ」
と上の方を指差した。
上の方……その指し示された方向には、先ほどエステル姫を案内した客間がある。
ブランカは慌てて答えた。
「あー、お父様、その客間ってもしかしてカサブランカの間? それはダメよ、さっきエステル姫を案内したわ」
「なに? エステル姫と一緒……。あ、いや大丈夫じゃないか、ウィルヘルム殿とエステル姫は結婚なさるのだから、むしろ──」
デイモンド子爵がまるでさも名案かのようにうんうん頷き始めたので、ブランカはぶんぶん首を横に振って、
「だめです!」
と大きな声を出した。
繰り返すが、ブランカはエステル姫がウィルヘルムを毛嫌いしている様子を知っているのだ。
が、それを知らないデイモンド子爵はぽかんとした。
だからブランカは
「あ、ほら、まだ結婚してないでしょ」
と理由をこじつけた。
「え? あ、ああ、そっか、まだね」
デイモンド子爵はてへっと首を竦めた。ウィルヘルムの方も黙ったまま少し顔を赤らめた。
ウィルヘルムの否定しない様子や素直な照れ方を見て、ブランカは脱力した。これは絶対エステル姫と結婚する気でいる。こんな純粋に結婚を信じている人に、「エステル姫は結婚する気ないわよ」とか言うの? 私、鬼畜じゃない?
「ブランカ?」
デイモンド子爵が黙ってしまったブランカを怪訝そうに覗き込んだので、ブランカははっとして、
「あ、すみません、他の客間に通そうと思ったのですが、どの部屋にしようかと」
と慌ててそれっぽい言い訳をした。
「オールドローズの間でいいでしょうか」
ブランカはエステル姫の客間からできるだけ離れた部屋を提案した。
デイモンド子爵は余計に怪訝そうな顔をする。
「ええ~? わざわざオールドローズの間? カサブランカの間から遠いじゃないか。もっと近い方がいいんじゃない?」
しかしブランカは父の発言を無視すると、侍女に手早くルームメイクを言いつけ、
「私が案内しますわ。どうぞ一緒にいらして」
とウィルヘルムに言った。
デイモンド子爵は何だか不満そうだったが、黙ってブランカとウィルヘルムが歩き出すのを見送った。その視線は、なんだか心配そうにそっとブランカの背中に注がれていた。
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