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6.やめたらいいのに、あんな女
二人きりになるとブランカは少し冷静になって、
「ルームメイクまで少し時間がかかりそうですから、城を案内しながら行きますわ」
とウィルヘルムに言った。
「ありがとう。何から何まで」
ウィルヘルムは礼を言った。
この騎士は決して悪い人じゃなさそうなのだ。礼儀もそれなりにちゃんと弁えている。
それに、彼の為した偉業と言うのは本当にとてつもないものだ。
なにせ、この10年、誰も達成できなかったのだから。
そのことを思うとブランカは尊敬の念をウィルヘルムに投げかけた。
「ウィルヘルム様が姫をお救いなさったのは、本当に奇跡だと思います。幼いエステル姫を助けるためには当時大掛かりな討伐隊が組まれたと聞きました。相当屈強な騎士たちが大きな期待を背負って旅立ったと。そんな国王の威信をかけたような計画ですら成功しなかったのに」
ウィルヘルムは『討伐隊』という言葉を聞くと、ほんの少しぴりっと背筋を伸ばした。
「そうですね。若いご婦人の前でこんなことを申し上げてよいものか迷いますが、この旅路で、その……彼らの亡骸……の一部とか……、そんなものをあちらこちらで見かけましたからね。犠牲の大きさや、自分がいかに幸運かを実感いたします」
ブランカはぎょっとした。生々しさに一気に恐れをなした。
「あ……」
そんなブランカの様子を見て、今度はウィルヘルムが慌てた。そこで言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
「ああ、すみません、やはり少々言い過ぎましたね。でも、私は先人たちの犠牲を忘れたくないので、このことは人々にぜひ伝えていきたいのです。もうほとんどの人の中では過去になってしまったのかもしれませんが、『魔物の討伐隊』、その一言で片づけるにはちょっと甘くない現実と申しますかね。派遣された騎士たちの無念を思うと」
ブランカは「ああ」と思った。ウィルヘルムの言葉はもっともだと。
「私はそこまで考えが至りませんでした。ウィルヘルム様の仰る通りですわ。おひとりで旅立たれ今回のことはすごい奇跡なのかもしれませんが、その陰にはたくさんの犠牲が……」
ウィルヘルムは固い顔をして頷いた。
「魔物に簡単に生命が脅かされては心安らかに生きていけませんから、当時の魔物の討伐隊は国のシステムを守る上で必要なことだったのでしょう。でも、国のために散っていった騎士たちの決死の覚悟はもっと知られてほしいです」
「そうですね」
ブランカもウィルヘルムの言葉に大きく頷いた。
そして深い感慨に引き込まれると同時に、一方ではエステル姫がそういったことに全く無頓着な様子だったのを思い出し、ウィルヘルムの報われなさを嘆きたくなった。
「ウィルヘルム様も、その……決死の覚悟というのを?」
「ええ。正直なことを言うとね、旅に出たのはもっと軽い気持ちだったんです。『王女様を助けるぞ──』とか『自分が全てを解決するんだ──』とかね。でも、旅先のふとしたところで出会う無言の先人たちを見て、この数々の物語をきちんと語るために生還しなくてはと思うようになったんです。そこからはもっと自分の命に慎重になって、だいぶ遠回りなこともしたかもしれません。絶対生きて帰るって、いろいろと工夫もしました。……まあ、なんてかっこつけてますが、現実を見て死ぬのが怖くなっただけかもしれません」
ウィルヘルムは少し恥ずかしそうに笑った。
「この冒険に人生を賭けたということですね」
ブランカがぽつんとそう呟くと、
「そうですね。一生を賭けた冒険だったと、振り返るとそう思いますね」
と、ウィルヘルムはそれだけは本当だとばかりに頷いた。
それから
「すみません、少し真面目な話をし過ぎました」
とブランカに詫びた。
「いえいえ、大事なお話をありがとうございます。私はエステル姫にお会いして、とにかくハッピーな冒険物語を想像して興奮したんですわ。実際には困難を前に敢え無く果ててしまった命があることを、一生を賭けるという言葉の意味を忘れていました。想像力が足りませんでしたわ」
「いえいえ、そんな風に言ってもらえると、逆にこちらが恐縮です。でも、そうですね、うん。実は、分かってもらえて嬉しいです。エステル姫はあまりそういったことに関心が無さそうでしたので……」
ウィルヘルムは少しだけ寂しそうに笑った。
「あ、ああ……そうでしょうね」
ブランカは慌てて笑顔を取り繕う。
ウィルヘルムはブランカの表情を見て、今度こそ本当に言い過ぎたと思ったのか、
「でも姫は、それでもまあ、いいんです。彼女は王女で、騎士でもなければ、一生を賭ける冒険も彼女には必要ありませんから」
と、エステル姫を庇うように、そして自分を納得させるかのように、そう言った。
ブランカは冷や汗をかきながら、ウィルヘルムの話にのっかってやる。
「だ、大丈夫ですよ、きっとエステル姫も分かってくださいます。エステル姫の方だって、魔物に攫われたなんて、これが大冒険でなくて何だというのです」
「そう言ってくれますか。優しい方だ」
ウィルヘルムは微笑んだ。そして明らかにホッとした顔をした
その顔を見ると、急にブランカはまた心苦しくなる。
「え、いや、優しいっていうか……」
ブランカは困ってしまった。
こんな真面目そうな、とっても誠実そうな騎士に、「あなたがパッとしないからエステル姫は結婚しないって」って言うの? 気の毒じゃない? なんかやっぱりこれ、エステル姫が間違ってない?
「もっと私が頑張れば、エステル姫は振り向いてくれるでしょうかね」
と、急にウィルヘルムが言い出したので、ブランカはドキッとした。
「え、ええっと、な、なんで急にそんなこと」
ブランカは口籠ってしまう。
「あ、いや実は、まだあんまりエステル姫と打ち解けてなくて。私は、お恥ずかしながら、あんまり女性の気持ちが分からないから」
ウィルヘルムが本当に恥ずかしそうに俯きながら言った。
「あー。エステル姫の気持ち……」
ブランカはなんか渇いた声が出た。
「ええ。私は一生をかけて、今度は彼女に相応しい男になろうと思っています。その気持ちだけでも伝えられたらいいんですけど」
ウィルヘルムは照れていたが、その声には強い意志が宿っていた。
一生を賭けるって。一生を賭けた冒険から生還した男が、今度はあのエステル姫に一生を賭けるつもり? どうせならもっといいことに賭けたらいいのに。
「やめたらいいのに、あんな女……」
とブランカは思った。
突然ウィルヘルムがはっと息を呑んだので、ブランカはぎょっとした。ウィルヘルムと目が合って気づく。
あれ、私、今の口に出ちゃってた!?
しまった!!!
慌てて口を押えたが、出てしまった言葉が戻るわけがない。
ブランカはたいへん気まずい顔で
「す、すみません、あの、決して本心では……」
と何やら訳の分からない言い訳をする。
ウィルヘルムはたいへん驚いた顔をしていたが、何か言おうとして口を開いた。しかし言葉にならない。
まさかブランカの口からこんなひどい言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。当のブランカだって口から出るとは思わなかった!
「あ、いや、とにかく、すみませんっ!!! わたし、あの……いや、もう本当にすみませんっ! 何を言っているんだか……」
ブランカは平身低頭、とにかく謝りまくった。
ウィルヘルムは口の端だけを歪めて苦しそうに笑い、ブランカを咎めるようなことは何も言わなかった。
ブランカはめいっぱい頭を下げ、そして無言でウィルヘルムを促すと、オールドローズの客間へ足早に案内した。
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