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7
その日は朝陽が昇ったばかりの早朝に、スノーバードが庭へやってきた。アンの眠りは鳥の鳴き声に触れると同時に破裂し、割れたバルーンの中からゴムの破片を払いながら這い出るように、アンは眠気眼で起き上がり、カーテンと窓を一気に開け放った。
眼下の庭に見慣れた小さな鳥の姿を見つけると、着替えもせず寝起きのままの格好で庭へ向かった。
庭に積もった雪はほとんどなくなり、地面は芽を出した草花の発育競争の舞台だった。肌に感じる日の光や風は、もうそれに「春」とレッテルを貼ることに何の依存もなかった。
この地に春が訪れたのだと、アンは春の訪れに付随する喜びを胸の内に溢れさせたが、溶け残った雪の欠片を踏んだように急にその喜びを停止させた。
春になると、スノーバードは北へ渡っていく。
そう、スノーバードとのしばしの別れの時が近付いている。
見ると、庭のスノーバードは明らかにアンの存在を意識したように、アンの方を向いてさえずっていた。
そしてそのことに意外さも違和感も覚えなくなっていたアンは、一歩鳥に近付いた。
おびえないだろうとわかっていたが、鳥はじっとしたままアンを見ていた。その鳴き声も黒い目もこれまでとは異なっていることが、鳥への気遣いで身を固くしたアンの神経に電流のように伝わった。
悲しみ……鳥ならではの悲しみの表現が、そこに宿っていた。
「スノーバード?」
と問いかけるように声を発したアンに応えたのか、鳥は精一杯人間に近付いてさえずった。アンが鳥の鳴き声に全身全霊で聞き入っていたその時、庭の隅で別の鳥の声がした。
「ピィー、ピピピピ」
アンは驚いて目の前のスノーバードから目を離して、その鳴き声のする方を見た。そこにいたのは、目の前の鳥と同じスノーバードだったが、いくらか体が大きく、褐色の部分が少なかった。鳴き声も微妙に力強く、オスなのだろうとアンは推測した。
ただ、その鳴き声はアンにあるものを思い出させた。
それは、マーティンだった。彼は本気で鳥の鳴き声を習得するため模倣し、アンの家に来たときは鳴き声で知らせた。そのマーティンの鳥の鳴き声にそっくりだった。
アンの目は、新たに庭に来たスノーバードに釘付けになった。その鳴き声はアンの頭の中にしみわたって、ひとりでに翻訳されていく。
「もう出発するよ、おいで」
その解釈が当たっているのを示すように、アンの目の前の鳥はさえずるのをやめてもう一羽の鳥の方へ移動していった。
さらに、大きい方のスノーバードはアンに顔を向けて、人間と鳥の橋渡しをするような奇妙だが心惹かれる鳴き声を出した。
足元の庭が揺れ動くような混乱のさなか、アンの脳の中で化学反応が起こり、鳴き声が人語に変換されていった。
「すまない、アン、僕は鳥の楽園に行ってこの姿になった。でも今は幸せなんだ。君も元気で。さよなら」
「マーティン!」
アンは声にならないかすれたような叫び声をあげた。
最後に鳥はアンに別れの一瞥をくれて、仲間の鳥とともに飛び立った。
その一瞬、アンは鳥の目が青色だということに気付いた。
飛び去っていく2羽の鳥にアンは手を振って、心の中で「さよなら、元気でね」と呟いた。
その言葉は立ち込めた春の気配に後押しされて、鳥を追って大空へ舞い上がっていった。
(了)
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