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マーティンの心の大半を占めている鳥、中でもスノーバードに対して妬ましさを感じそうなものだったが、アンはマーティンの鳥への眼差しを模倣するかのように、優しく目の前のスノーバードを眺めていた。 数か月もの間、雪化粧によって白を基調とした風景になっていたこの地に、再び春が訪れる兆候があった。冷たく清らかな雪のマントの下から草が芽生え、スノーバードはこれから咲く花々の想いを先取りするように、春の歌を歌う。 「スノーバードオリジナルの春の歌なんだ」とマーティンは言った。 「どの鳥もそれぞれ彼らだけの歌を持っている。だけどスノーバードの歌は超一級品だ。聞く人の心の雪を溶かして、花を咲かせる」 「でもその春の歌を置き土産にして、北に旅立つんでしょう?」 アンは人間の立場からすると、春の訪れとともに寒い北の方へ渡っていく鳥の行動が不可解に思えた。 「それは、そういう風に生まれついているからさ。多分、雪がないと生きていけないんだろうね」 そういう風に生まれついているという言葉に、アンは酷薄な宿命を感じた。人間は鳥を見て空を自由に飛べてうらやましいと単純に思うけれど、鳥の側からすれば飛ぶことが宿命なのだといえる。 「渡り鳥について、まだまだ不明なことが多いんだ」 マーティンはそれが自分にとって大きな課題だというような口ぶりで話した。 「たとえば、越冬地と繁殖地の間、何千キロにも及ぶ距離を群れを成して渡ることの謎。星座や太陽や地磁気が指標になるらしいが、キョクアジサシなんかは北極から南極に渡るんだ。全く信じがたいことだよ」 「スノーバードみたいな小さい鳥が過酷な渡りをするなんて、想像つかないわね」 「人間の生活様式と鳥の生態は全く違う。渡り鳥となると、人間の想像をはるかに超えている。そこで僕は思うんだ、渡り鳥には人間の知らない秘密があるんじゃないかって」 「秘密が?」 アンは熱のこもったマーティンの話しぶりに、思わず引き込まれた。 「それはどんなこと?」 「渡りのルートにしても、全面的に解明されていない。比較的大きな鳥に発信機を付けるなんていう試みはされているけど、それで謎がすべて解き明かされはしない。これは僕の想像だけど」 と前置きして、マーティンは夢想家のアンをさらに引き込む夢のような話をした。 「渡り鳥の一部は、渡りのルートの途中にあるオアシスに立ち寄る。それは空にあるオアシスだ。もちろん人間には知られていない。渡り鳥には磁気を感知するセンサーや、飛びながら眠る半球睡眠など人間にはない能力があるが、ほかにも人間のあずかり知らない能力があると思う。それが、空にある別世界への入り口を見つける能力だ」 「別世界?」 アンは驚きの声を上げた。 「そう、異世界と言ってもいい。そこは鳥だけが見つけて行くことのできる世界で、鳥の楽園なんだ。そこで渡り鳥は羽根を休め、長い旅を完遂するための活力を補給する」 「異世界って、オズの国とかピーターパンのネバーランドのようなものなの?」 「まあ、そういうことだね」 「それは素晴らしいけど、空のどこにその入り口があるの?」 「渡り鳥は上昇気流に乗って旅をするが、中には乱気流もある。飛行機にとっての落とし穴、エアポケットのような乱気流がね。しかし渡り鳥は気流のエキスパートだ。その乱気流を逆に利用して、異世界に飛び込むのさ」 それは突拍子もなく奇抜な発想かもしれなかったが、ファンタジーや幻想小説好きのアンにとっては、なじみやすい世界だった。 それに、マーティンの鳥への並外れた情熱と観察眼を知ることで、それは荒唐無稽な思い付きではなく、リアリティを付与するほどの説得力を感じさせた。
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