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ある朝、庭でスノーバードの鳴き声がしたので、アンは身支度もそこそこに庭に駆け付けた。 スノーバードの姿を見つけると、幸運が舞い込んできたかのように自然に笑みがこぼれた。鳥の鳴き声を耳にするとすぐに飛んでいくのが習性となった最近の自分を、まるでマーティンのようだとアンは苦笑した。 朝の清澄な空気の中に、早咲きの春の花の香りがした。スノーバードはアンが来たことを意識しているかのように、ひときわ声を張り上げて歌っていた。 スノーバードの歌声に全身を傾けて聞き入っていたアンの背後で突然「よお!」という声がした。アンは鳥の歌声でできた繊細なガラスのような空間がガシャンと音を立てて割れたかのように、驚いた。 振り向くと、兄のビルが朝陽を浴びてにこやかに立っていた。 アンは人差し指を口に当てて「シーッ」という仕草をしたが、スノーバードは他人の闖入を察して歌うのをぴたっとやめ、ほどなく飛び去って行った。 アンはがっかりしたが、兄を責める気にはならなかった。 「久しぶりだな。こんな朝早くから鳥の観察か。学校には行ってるのか?」 「うん、ちゃんと行ってる。兄さんはこれから仕事?」 「ああ、今日はちょっとだけ遅出なんだ」 アンは大学1年で、4つ上のビルは見習いシェフとして修業中で、早朝から出かけ帰宅が夜遅くになることが多く、こうして話をするのは久々のことだった。 マーティンは大学院に進んで生物学を専攻していたが、その関心の大半は鳥に向けられていた。 「さっきの鳥、スノーバードか?」 「そう、最近よく来るの」 「前からあの鳥はこの地に越冬に来るたび、この庭に来てたな。だからその時期にマーティンがうちに来る回数が増えたっけ」 ビルは回想するように庭に視線を泳がせたあと、フーッと虚しさを湛えた溜息を吐き出した。 「あいつが行方不明になって、もう1年になるのか」 「何か手掛かりは見つかった?」 「いや、何も」 マーティンが小型飛行機に乗って空中で消息を絶ったという事実だけが、明らかだった。空港の管制官の証言、機は猛スピードで北へ向かって行った、交信しようとしたが返事はなく、その後レーダーからふっつり消えた。それ以上のことはわからなかった。 マーティンの乗った小型飛行機が墜落した痕跡はどこにもなく、月日が経ち謎だけがその不透明さを増して残った。 「「星の王子様」のサン・テグジュペリみたいに、飛行機に乗って行方不明になったのね」 「サン・テグジュペリは戦時中で、ドイツ軍に撃墜されたってことがほぼ確実だが、マーティンの場合、全く何の手掛かりもない。警察は山岳地帯で墜落したんだろうと判断したが、レーダーから消えたあたりの山を捜索した結果、何も見つからなかった」 ビルは悔しそうに声を落とした。 「それなら、まだ望みはあるということよ。きっとマーティンは、どこかで生きてるのよ」 頬を上気させてそう訴えるアンを、ビルは同調するようにうっすら笑みを浮かべて見やった。 「そうだな。あいつのことだ、生きてるんだろうな」 それからビルは、自分と妹の双方を励ますようにテンションを上げて話を変えた。 「俺、今日これから新メニューの開発に携わるんだ」 「新メニュー? どんな?」 「チキンを使ったメニューなんだ。鳥の胸肉には、イミダペプチドっていう疲労感を和らげる成分が含まれててさ、鳥といっても渡り鳥のことなんだけど。何千キロっていう長距離を休みなく渡り鳥が飛び続けられるパワーの源だって話だよ」 また渡り鳥のことに話が戻ったが、アンはマーティンが話したあることを思い出した。 「そういえば、マーティンが渡り鳥は空にある鳥の楽園という異世界に入り込んで、そこでエネルギーを補給するんだって言ってた」 「ああ、俺にもそんな話をしてたな。あいつらしい発想だけど、残念ながら俺はさほど渡り鳥への興味も空想力も持ち合わせてないんでね。到底真に受けられないよ」 アンは何か反論めいたことを言おうとしたが、兄が出かける時間が迫っているようなので、何も言わなかった。 「飛ばないチキンの胸肉にも、イミダペプチドは豊富に含まれてるってことだ。それじゃ、飛ばないチキンは宝の持ち腐れってことかな。まあ、とにかくチキンの新メニュー、期待してくれよ」 最後はいつものビルらしく、明るく元気に言い残して去っていった。
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