ってキミが歌うから

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「で。叫ぶほどなんかあった?」  好奇心いっぱいの顔を寄せてくる。近いな。 「大したことじゃない」  高校では、二週間後に文化祭を控えていた。 「風邪で休んでる間に、クラスで合唱やることになってて。決まったものは仕方ないけど、そのときいたら、他の出しものに票入れられたのにと思うし、あんまりヤル気にならないから」  本番が迫って、放課後にも練習が始まったのが面倒で抜け出してきた。なんで合唱だよってモヤるのを叫んだだけ。カラオケで発散って選択肢は俺にはなかった。音楽聴くのは好きだけど、いわゆる音痴だから。 「幼稚園のとき。なんかで歌わされて、よっぽど調子はずれでよっぽどでかい声出して隣にいた女の子驚かせたみたいで。泣き出したから。歌わなくていいよって先生に止められて。それも若干トラウマだな。人前で歌なんか歌うもんじゃない」 「歌えないことないよ」  さらっと言って彼女が丸く口を開け、あー、と声を伸ばす。こちらに向けて促すかの手のひらは。俺にもやれ、と。渋々だが、再三促してくるので真似をした。あー。  彼女と同じ音を出すよう心がけるが、出せるとは思わなかったから、不協和音になるだけだろうと覚悟した。ところが。発声したのと同時に一旦停まった彼女の声は新たな音程を奏で始める。  度肝を抜かれた。ただ同じ高さを引っ張ってるだけの俺の声に重ねて、彼女の声はまるで歩くように、二音三音高く、低く、一オクターブ上を、下を、自由自在に行き来する。風の吹くままステップを踏むように絡まる声の響きに、草むらから木々の天辺へ歌いながら鳥がはばたく姿を見る思いがした。 「すごいな。鳥肌立った」  これがハモるというやつか。心臓がバクバク鳴ってる。 「歌なんてシンプルだよ。マイクも機材もなくても、電気がない昔から人は歌ってたんじゃないの。いつでもどこでも、歌いたいときに歌いたいように。嬉しいから、楽しいから、で自然に手叩いたり、足鳴らしたり、拍子とってさ。切ない恋心が溢れたり。見つめ合って、愛を囁きかわしたり」  そこで目が合うのは落ち着かなくて、川面に視線を逸らす。 「君の声は正直だね。聞いてて気持ちいいな」  と言われてもリアクションがわからない。 「私も歌うんだ。文化祭、軽音部でステージやるの」 「だから上手いのか」 「歌うんだけどね」  彼女が声音を曇らせた。ちらっとさっきのお返しに何か力になれたらと思ったけれど、すでに立ち上がりこちらに手を振る。 「またね」  って。結局誰だ。名前聞くの忘れた。
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