7.水底から来る怖いもの

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7.水底から来る怖いもの

リリーは躊躇なく海に飛び込むとフィアナの魔力を頼りに海中でその姿を探す。 「フィアナさん」 そう遠くないベンチに腰かけ、顔を覆って座るフィアナを見つけた。 フィアナの両足は魚の様に変化していて、本来の姿である人魚の様相に戻っていた。 赤銅色の鱗が海中の光を浴びて輝き、アベンチュレッセンスのように美しい。 「……わたくし、海が怖いんですの」 顔を覆う両手を離すと、フィアナは隣に座ったリリーに語った。 「わたくしたち人魚族は魔法に長け、聴力や肌感覚に優れ生きる事に困りません。ですが……それでも、視力は普通です。死角や暗闇から現れる海獣が、怖いんですの」 リリーはそっと肩に手を回し、フィアナに触れる。 「親兄弟には笑われましたわ。そんな事、と。でも、怖いんですの。逃げ出す様にロマネストに留学を決め……以降実家とは連絡を取っていませんの」 フィアナは苦悩に顔を歪め、目を瞑る。 「連絡しないうちに、家族にもしものことがあったら……」 リリーはかける言葉が見つからず、ただ腕に力を込めた。 「リリーさんは留学を終えたらヴィントさんと結婚するんですの?」 フィアナはいじっている手元に目線を落としたまま聞いた。 何か他の事で気を紛らわせたいんだろう。 意図を汲んでリリーは話し出す。 「どうかな……話し合ってはいるんだけど……」 リリーは言葉を続ける。 「優しいから。結婚したらどうしたいとか、よく聞いてくれるの」 でも、子供ができるかどうかは分からないし、と小さな声で呟いた。 「リリーさん」 フィアナは眉尻を下げてリリーの顔を見つめる。 子供ができなければ結婚してはいけないという意味ではないし、おそらくヴィントも子供が欲しいとは言わないのだろう。 ただ、リリーもヴィントも有翼種で、その希少性から多くの者から子を望まれているのだろう。 リリーも少し困った顔で、それでもにこりと笑ってそっとフィアナの手を包むように握った。 「私にも怖いもの、あるわ」 「まぁ。獣人と決闘も恐れないあなたにも?」 「おばけとか……怖い話苦手」 えぇ?本当ですの?本当よ、と顔を見合わせて笑う。 お互い明言は避け、それでも安定を図ろうととりとめのない話をする。 澱のように心に残るものが凪ぐように。 「……実家に通信を入れますわ。少し怖いけど、連絡しなくちゃ……そばにいてくださる?」 もちろん、とリリーは返し、フィアナは実家に通信を入れる。 少し震えた硬い声で通信機をかけ、相手と話す。 相手は親なのだろうか、短い返事ではい、はい、と答えていたフィアナは段々と涙目になり、片手で顔を覆い、泣きながらはい、と返事をした。 通信を切りしばらく啜り泣いていたフィアナの顔をリリーがハンカチで拭う。 「家族はみんな無事って……でも、沢山亡くなった方がいるみたい」 うん、と、はらりと新しく落ちる涙もリリーが拭う。 「わたくしこのまま、視界を良くする魔法を中心に学びますわ。でも、卒業後は……分からない。海に帰るかもしれないし、ロマネストで職を見つけるかもしれません」 うん、とまたリリーは返事をするとフィアナと肩をつけて寄り添った。 「このまま寝よう」 あれから迎えにきたヴィントと帰路についたリリーは口数少なく、どこかぼんやりとしていてついに寝ようと提案した。 「内臓耐久戦か……」 ベッドにうつ伏せで本をめくっていたヴィントが言った。 「苦戦を強いてしまうのは心苦しいですが」 ヴィントの背中の上にぴったりと体を寄せて寝転んでいるリリーが言った。 ぴしぴしと無言で翼の先で降りろと抗議を受ける。 「嫌!特等席!」 「そうやって上手い事言ってひとの背中を涎の海にするつもりだな?」 ヴィントは器用にリリーを背中から自身の翼の上、翼の上からベッドの上と転がすと組み敷いた。 「……不安か?」 片手でリリーの瞳を覆う。 「んん。気落ちかな…………」 「じゃあとっておき」 リリーの目元から手を離すと子供のような笑顔でヴィントが笑っていた。 童顔だということを本人は気にしているが、笑うと一層幼く見えてリリーは気に入っている。 ベッドのヘッドボードに置かれている缶が開かれる音がしてリリーは素早く身を返してうつ伏せた。 ぱっと翼を広げる。 早い、と苦笑しながらヴィントは缶から取り出した羽づくろい用のオイルを手に垂らす。 「私この香り好き」 あとで交代ね、とリリーは言うと枕に顔を横向きに埋めた。 かつて神話の時代、魔法と知性に長けあらゆる生物の頂点に立つエフェメリスという種族がいた。 書物にその姿と名を残すだけで絶滅してしまい、彼らの時代は終わりを告げる。 後の現代、最強とされる種族、ドラグーンとして生を受けたヴィントはどこにいても人々の目線に晒された。 戦争で仲間を失い、最後の一人となり尚更注目は加速する。 好奇の目線だけではない、何かおぞましいものを孕んだ視線が疲弊を生む。 クルカンは大当たりを引いた、と言っていた。 リリーは産みの父と母とも全く違う容姿として産まれてきた。 どこかで僅かに残った血筋が蘇ったのだろう、先祖返り……失われたエフェメリスとして生を受けたリリーもまた常に視線に晒され続ける。 大当たりと言うほどの恩恵を受けた事があっただろうか? 翼の付け根から丹念に羽づくろいをする。 視線を跳ね除け、強く生きられるように。 ヴィントは自身の翼とは違うリリーの翼の扱いが全く分からず、初めのうちはよく力加減や触られたくない所を聞いた。 孤独を癒すのは、もっと近い種の方が良かったのではないかと心によぎる。 「もし、私と別れた方が良いって皆が言ったらどうする?」 リリーの心を見透かされたような質問に内心どきりとする。 「住む所を変えるか。誰もいない南の島とか」 南の島?ふふふ、とリリーの笑い声が響く。 脳裏にリリーと同じ白い翼を持つ生徒会長の姿が浮かぶ。 「その前に追って来れないように生徒会長は二、三発殴っておくか」 だめ、私が殴る、と言ってリリーはもっと笑った。 「北の果てでも。ふたりでならどこでもいい」 そっとうつ伏せに寝ているリリーの手にヴィントが手のひらを乗せる。 「何回も聞いちゃうかも」 「何度でも言う」 そっと耳元で囁いた。 愛していると。 そばにいると。
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