Night of Piano Man

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Night of Piano Man

「ただいま」  リビングのドアを開けると、花名は片手で膝を抱えながらソファに座り、手に持ったスマートフォンの画面を熱心に見つめていた。ヘッドホンをしているから、音楽でも聴いているのだろうが、僕が帰ってきたことに少しも気づいていないようだ。  いつもなら日が暮れかけると早々に閉めてしまうカーテンも開け放したままで、閉めようと近くを通ってもまったく気づく様子がなく、彼女の集中力の高さは知っているものの苦笑いしてしまう。  鏡のようになった真っ暗な窓ガラスに僕と花名が映りこんでいる。  ガラスに手を伸ばした僕にニューヨークの街明かりが混ざりこみ、輪郭が朧気になった。夜に溶けそうな自分と、明るい部屋の中で膝を抱えている花名の間に、急に見えない世界の隔たりがあるように感じて、部屋を振り返る。  同じ空間にいる彼女の姿を確かめてもどこか不安が残ってしまい、僕は小さくため息をついてからカーテンを閉めてしまうことにした。  こうして触れられる距離にいても、いまだに花名が行方知れずだった頃に逆戻りしたような感覚に陥ることがある。  パリに戻った頃も、ニューヨークに移動したあとも、街中でショーウィンドウに映り込む自分の後ろに、彼女の姿を見つけたような気がして、何度振り返っただろう。いないとわかるたびに大きな喪失感が僕を襲い、しばらくの間蝕んだ。  花名に出会っていなければ、孤独に気づくことも、得られない愛を求めてもがくこともなかっただろうけど、こうして自分の中に人を愛する感情があるのを知ることもなかったのだから、花名は僕にとって愛そのものなんだろうと思う。
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