民俗学者桜田民子の現地探訪録~時の糸~

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「えぇ~! 現地研究の仕事がないんですか? 民俗学の基本はフィールドワークだっていうのに……」 「まぁねぇ。しかしそれは大学にお金があった時の話なんだよ。いまはどちらかというと理系の学部に経費が回っちゃうからなぁ。やっぱり情報工学っていうのかな? AIの研究にはすぐ経費がつくんだよねぇ」 「そうかもしれませんが―――。この大学って総合大学じゃないですか。理系学部だけが優遇されていいわけがありません。それに基礎研究に力を入れてこそが大学における研究のはずです。商業的な研究は企業がやってくれると思うんですが―――」 「いやいや、さすが桜田女史だ。勤務日初日から飛ばすねぇ」 「―――初日って言いますけどね、古式(こしき)教授。この研究室には大学3年の頃から通っているんです。学内の事はそれなりにわかっているつもりです」桜田民子(さくらだたみこ)、27才、独身。年齢イコール彼氏いない歴だが、そんなことは全く気にしない新米民俗学者だ。そんな彼女だが、決して見た目が劣っているわけではない。    身長は170cmの長身、髪は栗色の知的なショートボブ。若干つり目気味ではあるものの、スタイルだって悪くない。現に学生時代は彼女に告白して撃沈していった殿方は数多く存在する。そんな彼女が愛してやまないのが民俗学。  それは世界の文明国の民族が有する自国の日常生活文化の歴史を民間伝承を主たる資料として再構成すること。これによって各民族の持つ民族性が明らかになるのだ。  彼女にとって過去を明らかにすることは遠い未来のことを知ることと同義。そこはロマンの世界。悠久の時から悠久の時を見出す行為。それが彼女の生き甲斐であり、夢である。  それを邪魔する者は容赦しない。いまの彼女にとっては男女の色恋などは不毛の極み。時間の無駄。  唯一のコンプレックスはかの高名な民俗学者と名前がニアミスしていることだ。柳と桜。国と民。まぁ察してもらいたい。  民子の主張では民俗学とは豊富なフィールドワークに裏打ちされるもの。決して研究室にこもって文献を漁ることではない。  しかし、世は不景気時代、就職氷河期時代のど真ん中。どの企業も、いや、どの組織も経費はなるべく抑えたいのが本音。それは学問の最高学府たる大学でも同じことなのだ。 「まぁ、後期の予算配分の際は少し色をつけてくれるはずだからさ。後期からのためにもここにある文献を整理してアイデア出してよ」彼女の恩師、古式繋心(こしきけいしん)は相変わらずののんびりした声で言う。  彼は生きてきた50年の経験からどうしようもないことは焦っても仕方がないことを悟っている。それにしても180cmの見事な体躯、そして筋骨隆々の強靭な肉体。それでいて顔は宇宙刑事ギャバンの大葉健二似のイケメンだ。若さ。若さってなんだ。 「ん―――。じゃあ、自費ならいいんですか?」あきらめないことさ。 「まぁ、良くも悪くもないよぉ。もう学生じゃないんだから少しは言うこと聞いて仕事してよぉ」 「はい、はい。わかりました」 「桜田女史。はい、は1回でいいらしいよ?」 「はい、はい」  そんな気だるい朝ではあったが、急報や吉報というのはこんな時に訪れるものである。
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