民俗学者桜田民子の現地探訪録~時の糸~

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くぅん、くぅん――― 「あれ? 仔犬? だよね。こんなところに仔犬なんてあからさまに怪しいけど―――」 「ん―――。これはただの仔犬ではないぞな。大神か、その眷属―――」 「え!? 大神? それってオオカミのことだよね? 狼って大神とも漢字変換できるし。狼の神格化といえば大口真神(おおくちのまがみ)! で、この子はそれか、その眷属ってこと?」民子の興奮は治まらない。 「待つぞな! それは幼体。近くに成体がいるぞな!」 「狼の神格化って北欧神話のフェンリルもそうだよね? 北欧と日本って地理的にいってまったく関連性がないじゃない? それでも共通する部分があるっていうのがすごいよね? おそらくなにかしらの精神的な共通点があって感性的に似ているもの―――。そうそう、シリウスって天狼星っていうじゃない? 中国とヨーロッパは意外と古くから繋がっていたというし―――。そういえばパスタって中国の麺と同じ発祥元なんて言う説も。交易の結果、相互作用して神話に影響を及ぼしていると考えるのも面白いわね―――。しかもそれが当時の政治的、文化的な中心地から離れたこの地域において見られるというのも当時の流通システムが―――」民子は絶賛妄想中。 「民子。そいつはどちらかというと地狼ぞな」 「はあ!? ”ちろう”? あんた、なんでここに来て下ネタなわけ? わたしが下ネタ嫌いなの知ってるよね?」これは団三郎、痛恨のミス。  民子は大の下ネタ嫌いである。スーパーの長芋実演販売で店員さん(おっさん)が「お姉さん。長芋なんてどうだい? 精が出るよ!」などと声を掛けられた際には「今のは女性蔑視のセクハラです。訴えますね?」とニコニコ笑顔で対応し、その帰り道に女性人権派弁護団体に裁判の相談に行くほどなのだ。(後日、店側の紳士的かつ誠実な謝罪があったため裁判には至りませんでした。) 「あ―――いや、そうではなくて―――」団三郎の拙い言い訳がいよいよ幕を開けようとしたその直前。 「―――愚かな人間の娘がまた一人現れよったわ。どうせ縁結びの祠巡りであろう? こうも上手くいくと逆に心配になるわ」暗い森の静寂を切り裂く金属音のような声が響く。 「気をつけるぞな。あれは大神の成体。天狼ぞな!」 「シ、シリウス?」 「大口真神の眷属ぞな!」団三郎の声を聞いて天狼がニヤリとする。 「よく知っているな。その面妖な板のようなものに入っている化けだぬきよ。ん? いや違うな。お前はただの化けだぬきではないな。その匂い―――隠神刑部の眷属か」今度は団三郎が画面の中でニヤリとする。 「お主こそよく知っているぞな。隠神刑部の八百八の眷属が一人、序列八百八のビリビリの団三郎ぞな!」これには天狼は苦笑、いや破顔する。 「今年一番の噴飯ものよ。序列八百八? そのような者がこのわしと対等であると思うておるのか? なんという憐憫。隠神刑部に免じてお前は許してやるからその女を置いて立ち去るがよい」 「そういうわけにはいかないぞな!」 「―――ふん―――」天狼のため息が聞こえた刹那。その眼がシリウスのように光る。シリウスとは”焼き焦がすもの”を意味する。  民子が「あつっ!」と声を上げて、地に膝をついた。勢いスマホを落してしまう。 「た、民子!」団三郎は呼びかけるも画面が裏になっているためその様子がわからない。 「だ、大丈夫」おうおうにして人間は大丈夫ではない時に限って大丈夫と言う生き物である。 「た、民子!」 「ふん! 黙っておれば怪我などせずに済んだものを―――」 「な、なにをしたぞな!」 「ちょっと動けないようにしただけだ。しかし、その女、よほど反射神経が良いと見えて直撃を回避しておる。この前の女のようにピーピー泣くだけでもないようだし。なかなか肝が据わっておるな」天狼の声が冷ややかに響く。 「わたしは大丈夫。つっ―――」「大丈夫ぞなか? 民子!」「だ、大丈夫だよ。ただのかすり傷だし―――」これは大丈夫な人間の発言ではないと団三郎は直観する。 「民子! モバイルバッテリーをスマホに繋げるぞな! それから画面を表にするぞな!」「モ、モバイルバッテリー?」「はやくするぞな!」「はい、はい」「はい、は一回でいいぞなよ!」「はい、はい」こんな時でもいつもの流れが始まった。
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