最悪な初恋

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 本当にまた羽原が来て一気に疲れる。いい人かと思えば変態のようだし、どう対応したらいいのかわからない。  優真がオーダーをとりにいこうとすると辰井が行ってくれて、思わず拝みそうになった。羽原の様子を窺うと、おもしろくなさそうな顔をしている。優真が呼ばれるたびに辰井が行ってくれるが、辰井の休憩中についに捕まった。 「なぜ避ける」 「避けるに決まってます」  危険人物に自ら近づく人はいない。 「高校のときのことをまだ怒っているのか?」 「それは違います」  あれについては謝ってくれた。だからといって、優真の中にある人を好きになる恐怖が薄らいだわけではないが。 「許して欲しいからなんでもする」 「別になにもしてもらわなくても……」  要求をするなど、そんなつもりはない。むしろ放っておいてくれたらそれでいい。 「抱いてやる」 「結構です」  結局それか、と呆れてしまう。 「仕事中なので」  ひとつ頭をさげて待機位置に戻る。羽原はずっと優真を見ていた。  帰りが怖いな、と思いながら店を出ると、やはり羽原がいた。  そういえば羽原はこのあたりに住んでいるのだろうか。もう電車はない時間だ。優真は徒歩で通える距離に自宅があるが、羽原もそうなのか。近所で会いたくない。 「澤口」 「……」 「逃げるなよ」 「逃げますよ……」  早足で歩く優真の隣を余裕の歩調でついて来る羽原にむっとなってしまう。脚の長さが違いすぎる。 「今日はあの男はいないのか?」 「急ぎの用があると先に帰りました」 「それはよかった。少し飲みに行かないか?」 「遠慮します」  こうやって話していると特に問題のある人に感じないのだが、中身はセックスを求める変態だ。気をつけなくては。 「おごるから」 「ちょっ……」  遠慮する優真を羽原は逃がさず、手首を掴んで進行方向とは別のほうへ歩き出す。夜中の歩道で揉めるわけにはいかない。仕方がないのでついていくと、路地を入ったところにあるバーに入った。カウンターをすすめられ、スツールに腰かける。薄暗い店内はほどよく客が入っていた。皆ゆったり酒と時間を楽しんでいるように見える。 「なに飲む?」 「お酒は強くないので」 「俺はグラスビール。彼にはノンアルコールのカクテルを」  意外だった。酔い潰して持ち帰るということはしないらしい。思ったよりまともだ。それが普通なのだが、あの発言が発言なだけに、もっと強引な手を使う人かと考えていた。 「澤口は好きなやつがいるから俺の願いを聞いてくれないのか?」  好きな人がいなくても、あんな願いを聞く人間はいない。 「好きな人なんていないです」 「じゃあなぜ?」  そこまで言われる理由が、優真のほうこそわからない。 「あんなおかしな発言を受け入れる人はいません」 「どうしたら受けてくれる?」  引く気はない、と羽原は食い下がる。 「他の人とすればいいじゃないですか。羽原先輩なら選び放題でしょう?」 「澤口じゃないとだめなんだ」  なぜ優真に固執するのか。まさか羽原は優真が好きなのだろうか、とどきりとしてしまう。 「どうして?」  だめだと思いながらも甘い初恋を思い出してしまった。告白するまで、羽原のことを見るたびに心臓がせつなく揺れて、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになったものだ。 「……」  眉を寄せた羽原に首を傾げると、バーテンダーがさりげなく離れた。さすが、と思いながら隣に視線を向けると、彼は神妙な顔つきで優真を見つめ返す。 「俺の股間にかかわる話だ」 「沽券でしょう」 「沽券にも股間にもかかわる」  意味がわからないし、顔を近づけて話すのはやめて欲しい、と距離をとろうとするが、逆に近づかれた。 「実は勃たないんだ」  真剣な表情で言われ、なにが、と聞こうとしてやめる。ぱっと頭に浮かんだもので間違いないだろう。 「卒業式のあの日以来、つき合った女性といい雰囲気になっても勃たない」 「……」 「それなのに澤口の夢を見ると勃つ」 「俺の夢?」  人を勝手に夢の中に登場させないで欲しい。 「なぜか見るんだ。……澤口を抱く夢を」 「……」  どう反応するのも間違っているように感じ、無言無表情になってしまう。だが切羽詰まったような羽原の様子から、冗談でもただの軽口でもないとはわかる。 「このまま一生を終えるのかと思っていたら、澤口と再会した。これは運命だ。神が俺を憐れんで助けを与えてくれたのだとわかった」 「やめてください」  そんなに熱く語られても困ってしまう。運命だなんて、高校生の頃の自分が聞いたら嬉しすぎて卒倒していたかもしれない。だが今はもう違う。 「羽原先輩は俺が好きなんですか?」 「いや。それはない。澤口は地味だし男だ。俺は華やかな美女が好きだからな」 「……」  卒業式の日のことを謝ったくせに、また地味と言った。あのときほどのショックはないが、それなりに傷つく。 「悪い。地味だなんて言うつもりはなかった。思っていても言うべきじゃないよな」 「思ってるんですね……」  呆れてしまう。思ったことをそのまま口にしてしまうタイプだろうか。  優真は視線を逡巡させ、躊躇いつつも口を開いた。 「俺は好きな人以外とそういうことはしたくないです」 「そうだよな……」 「問題に関しては気の毒だと思いますが、絶対それ俺は関係ないですよ」 「だからしてみたいと言っただろう」  真剣に詰め寄られ、怯んで身体を引く。 「もししてみてだめだったら本当にだめだとわかるが、試してみないことにはわからないだろう?」  たしかにそうかもしれないが、だからといって身体を差し出すことはできない。羽原だって相手が優真でなければそんな願いを口にすることもないだろう。もともと優真が彼を好きだったことで、都合よく思われているのかもしれない。 「諦めてください」  つんと冷たく言うと、羽原が肩を落としたのがわかった。カクテルをひと口飲んで息をつく。これですべて終わるかな、と少しほっとした。  深いため息を吐き出す羽原に、可哀想かも、と思うが、絶対無理だ。 「そうだよな。澤口に好きなやつができたとき、相手に申し訳ないし傷つくか……」  自身に言い聞かせるような言葉に、優真は首を横に振る。 「俺は誰も好きになれません」 「どういうことだ?」 「卒業式の日以来、人を好きになることが怖いんです。また同じように否定されるんじゃないかって」 「……」  暗に羽原のせいで人を好きになれない、と言ってしまったようで内心焦るが嘘ではない。無言になった羽原に居心地が悪く、カクテルグラスにもう一度口をつける。 「……それなら責任をとらせてくれ」 「はい?」 「俺は澤口が人を好きになれるようにする。だからそれができたら一回だけ、頼む」 「好きな人ができたらなおさら嫌ですよ」  なにを言っているのかと呆れていると、羽原はいいことを思いついた、というような顔をする。嫌な予感がして小さく身震いした。 「じゃあ俺を好きになればいい」 「は?」 「それがいい」  ひとりで納得しているので首を傾げる。 「澤口、――いや、優真。俺を好きになれ」  大変なことになったかもしれない。嫌な予感は的中した。
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