最悪な初恋

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 休日はすぐに終わってしまい、いつものように出勤するとなぜか店の前に羽原がいる。スーツではないカジュアルな服装だ。 「昨日休みだったなら教えてくれよ」  優真を見て嘆息した羽原は腕を組む。いら立ちが透けて見えた。 「どうやって」 「連絡先交換」 「え」 「いいから早く」  全然よくないが、羽原が急かすので慌ててスマートフォンを出してしまった。指示されるままに連絡先を登録してしまう。 「あの、羽原先輩……」 「『先輩』はもうやめてくれ」 「じゃあなんて呼べばいいんですか?」 「『義人』」  それは無理だ、と首を左右にぶんぶん振ると、羽原は片眉をあげた。 「じゃあ『羽原さん』でいいよ」  中身は変なのに微笑む表情はとても綺麗で、思わず見惚れてしまう。昔から綺麗な顔立ちだったけれど、大人になって男らしさが増し、本当に恰好いいと思う。黙っていれば優真だってまた好きになってしまったかもしれないのに。  ふと高校生の頃を思い出した。羽原は努力を怠らず、常に前を見て上を目指していた。今以上の自分になりたい気持ちが強いのかもしれない。そんな人が勃たないのは、ものすごくつらいのではないか。 「どうした?」 「いえ……」  ついじっと見てしまったので慌てて視線を逸らした。 「仕事なので」  羽原を置いて店に入り、カレンダーを見て今日が土曜日だと気がついた。休みの日にわざわざ来たのか。  セックスをオーケーしてもらうためだけに自分に惚れさせようとしたり、無駄な労力を使ったり、本当によくわからない人だ。  だが、昔憧れて見ていただけのぼやけた輪郭より、はっきりと羽原が見える。なににでも全力で挑んでいた彼は今、全力で優真を落とそうとしている。  ため息が出た。  営業時間になると羽原が来店した。いつものようにつまみ数品とビールを注文して、優真をじっと見る。 「なんですか?」 「見方によっては可愛いと思っただけだ」  見方によっては――なんとも返答ができない。 「素朴で飾らないところは優真の魅力だよな」 「勝手に名前で呼ばないでください」 「つんつんしたところとか、気まぐれだけど甘えたがりなところが猫みたいだ」  褒められているのかわからない。だがそれが羽原にとっての優真の印象ということか。 「誰が甘えたがってますか」 「優真」  はっきり言い切られると、そうなのかもしれない、と思ってしまう。単純すぎる。 「誰かを好きになりたいって顔をしてる」 「……それは口説き文句ですか?」 「そう」  羽原の全力は思ったより威力がなくてほっとした。もっとどぎついことを言われるかと思った。 「油断してると食っちまうぞ」 「……」  油断はしないように気をつけよう。  ひとつ頭をさげて席から離れると、待機していた辰井が心配そうな顔をしていた。 「澤口さん、大丈夫ですか?」 「はい。心配かけてすみません」  優真も待機位置につく。  誰かを好きになりたい顔とはどんな顔だろう。優真は本当にそんな顔をしているのだろうか。思わず頬に触れると、どこからか押し殺し損ねたような笑い声が聞こえてきた。見ると羽原が小さく肩を揺らしている。見られていた。恥ずかしくて頬が熱くなった。揶揄われたのかもしれない、とほんのり腹が立った。  最近は店からの帰りは羽原が待っているかもしれない、と考えてしまうから緊張する。 「優真くん、大丈夫?」 「うん。迷惑かけてごめん」  辰井はなぜ謝られたのかわからない、という顔をして、小さく首を傾げた。 「もっと迷惑かけていいよ」 「え……」  まさか辰井はまだ優真が好きなのだろうか、と頭に浮かんで、自意識過剰だとその考えを打ち消した。二年前にふったことを根にもたれてもおかしくないのに、変わらず優しくしてくれるのは辰井が穏やかな人だからだ。甘えてしまうことに罪悪感を覚える。 「俺は優真くんの味方だから」  罪悪感さえ消してしまうような優しい微笑みに、曖昧に頷いた。 「いろいろ考えすぎないでね」  頭の中を読まれただろうか。少しひやりとした。 「ずっと聞きたかったんだけど、あのお客さま……本当はどういう知り合いなの?」 「それは……」  言葉が詰まってしまう。本当のことを言う勇気はない。軽々しく「セックス」と発言できる羽原がすごすぎる。 「今年はもう蒸し暑いね」  答える言葉が見つからない優真をわかってか、辰井が別の話題を振ってくれた。ありがたく感じながら頷いた。  気がついたときには桜は散っていた。歓送迎会の予約も落ちついてきて、春というより初夏のような陽射しが降り注ぐ日が多い。夕方から深夜の仕事の優真は昼間に出かけることが少ないけれど、なんとなくいつもと違う春だと感じる。  ポケットのスマートフォンが短く鳴った。こんな時間に誰だろう、と確認すると羽原からのメッセージだった。 『バーで待ってる』  前に一緒に行ったバーだろうか。少し考えて、無視しよう、と決めた。 「……」  無視――なのに気になってしまう。店を出てから優真の仕事が終わるまで待っていたのだろうし、優真が行くまで待つような気がする。 「ごめん、辰井さん。用事ができたからここで」 「わかった。お疲れさま」 「お疲れさま」  いろいろ聞かれたらどうしようかと思ったが、詮索されずに辰井と別れた。路地を入ったバーにつくと、入口の前でひとつ深呼吸をした。ドアを開けると、薄暗い店内のカウンターに背の高い男性が座っている。羽原だ。 「来ないかと思った」 「来たくなかったです」  つい正直に答えてしまって、まずかったかな、と羽原の様子を窺うが、特段不快そうな顔はしていなかった。 「でも来てくれた。嬉しいよ」  甘く微笑まれ、どきりと心臓が震えた。なぜだ、と不思議になるが、きっと恰好いいからだろう、と答えを強引につけた。 「なに飲む?」 「ノンアルコールならなんでも」 「わかった」  羽原は黒ビールを頼み、優真の分はいつかのようにバーテンダーにノンアルコールカクテルをおまかせで頼んでくれた。ビールをひと口飲んだ羽原は、カクテルグラスに口をつける優真をじっと見つめている。 「なんですか?」 「あの男は優真のことが好きなんだろ?」 「え?」 「気がついてないのか?」  気がついていないのではないけれど、はっきりそうだと言われたわけではない。だから答えは「わからない」にしておいた。視線を感じて隣を見ると、羽原が優真を見ている。真剣な表情にまた胸が鳴った。 「優真はあいつが好きなのか?」 「あいつって……『辰井』さんです」 「名前なんかどうでもいいけど、あいつなら好きになれそうとか考えてるのかと思って」  拗ねたようにビールを飲む羽原は、明らかにおもしろくなさそうだ。 「どうせ俺は勃たないよ」 「関係ないでしょう、そんなこと」 「関係ある。男としてのプライドが――」  言葉を切った羽原は首を傾げる。 「どうして俺はこんなに腹が立ってるんだ?」 「は?」 「優真があいつを好きだと思ったら、むかむかする」  どういうことだろう。優真もよくわからないけれど、羽原自身も不思議そうにしている。なにかを考え込むように口もとに手をあてる姿が妙に様になる。 「俺はただ試しに優真を抱ければそれでいいんだ。別に優真を――」  目が合ってどきりとする。 「――好き、なんてことは……」  呟かれた言葉に時間が止まったように動けなくなった。羽原が優真を好き? 頭の中に彼の呟きがぐるぐるまわる。  ぱっと顔を背けた羽原はグラスに口をつけた。落ち着かない様子でグラスの縁を指でなぞっている。骨ばった、男らしいけれど綺麗な手だ。 「また店に行く。早くいい返事を聞かせろ」  優真の分も合わせてチェックを済ませた羽原は逃げるようにバーを出ていった。残された優真は状況が読めず、とりあえずカクテルを飲んだ。  翌日、羽原は店に来なかった。
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