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職安
USJを見て回るにはほぼ一日が必要とガイドブックには書いてあったので、通天閣に来られるかどうかは自分たちにとって不確定な予定だった。まさかこんな早い時間に来られるとは思ってもみなかった午後1時過ぎの新今宮。
駅を出ると、ん、ここは。
職安!
ここ、知ってる知ってる。数十年前の記憶が蘇った。
前はこんなにタテカンやゴミで包囲されていなかった気がするけれど、古びた建物のたたずまいが当時のまま。懐かしい。
大阪は何度か訪れているから、ピンポイントで記憶が蘇る。
自分は20代のその日、多分旅行の途中、このあたりの何処かの個人経営の喫茶店に入ったのでした。テーブルについてすぐ注文を取りに来る感じのいいおばさん。自分が頼んだのはクリームパフェ(パフェは大好物)。
そこに突然入り口のドアが開いた。
そして、まっしぐらに店の奥を目指す労務者風。彼が目指していたのはトイレでした。水を流す音とともにやがて出てきた彼ですが、そのまま来た時と同じように急いで入り口のドアまで走りそのまま去って行ってしまった。
彼が使ったトイレを点検して怒り狂うおばさん。
「こんな汚してからに!あのあほが!50円や、トイレ代50円払い!」
当然彼はもう店の中にいない。
それでもおばさんは、ずっと50円払え、と叫び続けていたのでした。
それがこのあたりを訪ねて覚えている風景。自分にとってこのエピソードは、大阪を象徴するものとしてずっと心の中にあった。
そんなことを考えていたら、歩道を歩く自分たちの目の前をおっさんの自転車がびゅん。蕪人、危ないから気を付けて、と手を握る。
そこを渡るんか、そこを通るんか、って場所を人や車が抜けていく。
そうだった。ここは、大阪でも最もディープなゾーン。それは今も変わらないようなのでした。ちとうれしい。
ちなみに自分が職安だと思っていた建物は、あいりん労働福祉センターという建物。この中にかつて日雇い労働者が職を求める職安や、病院などが入っていたらしい。今やそのすべての施設が移転したものの、休憩所が無くなると困ると労働者が抵抗し、バリケードを作ってここに居座っているのだそうだ。
目の前に見えるタテカンやビニールシートの風景を写真に収めようかとも思ったけれど、真剣に生活している人間に対し、よそ者がただの物珍しさだけでしてはいけないことだと思った。
でも、ホントは知ってる。
自分の本心のところは、それが物珍しさどころか。
自分は実はあそこに憧れている部分があるのでした。
本来無一文。
ただその日だけを働き、ただその日だけを食べて、呑んで、寝る。
雨風寒さ暑さは厳しいけれど、自然を感じながら気楽に過ごすそんな毎日を、もう一人の自分に過ごさせたい願望が自分にはある。
今すぐにでもあそこに行って同じように暮らしてみたい。
ころり寝転べば青空
それは吞んだくれの漂泊の俳人、種田山頭火の自由律俳句。
彼が生前編んだ唯一の句集「草木塔」に収められている。
我が家にあった文庫本の「草木塔」は、遼太郎に貸したらすっかり気に入ってしまった。今やその「草木塔」は自分のものではない。彼にそのまま譲ってしまったのだった。
また買わないとな「草木塔」。
なんてことを蕪人に話せるわけもなく。
子連れではあいりん地区散歩なんてこともできるわけもなく。
自分は歩道を行きかう人ごみの中、蕪人と手をつないで通天閣へと向かったのでした。今日はいい天気。
もしここでぶったおれればそのまま。
ころり寝ころべば青空
のはずだ。
でも、自分は妻子のある勤め人。
こんなところに寝ころべない。
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