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地名
東京から大阪までは新幹線で二時間半。
ほどなく列車は新大阪駅に着きました。
駅員の列車の案内は関西弁じゃないんだな、なんてまあ当たり前のことを確認しつつ、エスカレーターに乗る。
左側に寄って立とうとしていた蕪人。
「蕪人。関西ではエスカレーターに立つのは右なんだよ」
「え?」
「東京は左だよね」
「うん」
こういうカルチャーギャップって楽しい。
5月19日は日曜日。
決まって毎年5月か6月、梅雨に入る前の日曜日に、自分は子供を連れて二泊三日の旅行に出るのでした。長男、苺郎も小学生の頃は毎年どこかに連れて行った。
なぜ夏休みではなくこの時期なのかと言うと、仕事場では夏の連休は希望者が多くて取りづらいのが一つと、そこを外せばホテルの料金が安く済むから。
でも、もう一つこれはちょっと偏屈な理由がありました。
自分自身が小学生だったころ、親は学校を休ませてくれなかった。
病気でもないのに学校を休むのは、確かにやってはならないことだという認識はあったけれど、熱でふらふらなのに学校に行かされたこともあった。親にも訴えたけれど聞いてもらえなかった。小学校4年生か5年生のその日、自分は生まれて初めて千鳥足と言うものを経験した。目が回ってまっすぐ歩けない。右に左に曲がりながら学校までたどり着き、自分の机に座った途端意識が飛んだ。気づいたら家に戻っていた。親が呼ばれ自分を連れて帰ったんだろうけれど、先生の言うことだけは聞く彼らのそんなところも嫌だった。
学校は絶対ではない。
この旅行は、あの日小学生だった自分に対して大人になった自分自身が与えた回答のような気がしている。自分は学校を何が何でもすべてに優先して行くべきところだとは思わない。絶好の旅のシーズンと安い料金のためになら、年に一度ぐらい休んでいいと思う。価値尺度は自分の中に作るもの。
それが子供たちに伝わったらいい。
その結果として、この旅行は単なる旅と言う意味付けを越えて、子供たちにとってどうも成長の促しになっているということに気付きました。二泊三日の旅行を終えて帰って来た彼らは、なぜか自分から宿題を始めたり、台所に立ったりという変化がみられるのでした。
彼女たちは関西がホームグラウンド。
大好きなアバンギャルディにも迎えられ。
蕪人と自分はエスカレーターを下りた。
SUICAと一緒に妻と自分の電話番号のメモが入ったプラケースを首からかけた蕪人は、人ごみの中、迷子にだけはなるまいとぴったり自分の横を歩いている。こうして北大阪鉄道のホームに移動。
はじめの目的地は、万博記念公園。目指すは太陽の塔です。
車内の人になった自分たちは、ドアの上の路線図を見上げた。
「わあ。羽衣だって。蛸地蔵、岸里玉出?これ、なんて読むんだ?」
東京より明らかに古い由来を感じさせる地名が素敵だ。
「姫島、清荒神、蛙野、鼓滝、天満、香里園」
外には小雨が降っている。
旅が、始まった。
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