はなびら 3

3/5
前へ
/56ページ
次へ
「ああ。ところで」  翡翠の頭から手を離して、大泉医師は話しを変えた。 「今日君が来ると話したら、これを渡すように和臣に頼まれたのだが……」  机の脇の椅子の上に置いてあった紙袋を差し出して、大泉医師が言った。袋に『宇治・泉屋』と言うロゴが入っている。 「仕事で京都へ行っていたんだが、土産だそうだ」  渡された袋の中を覗くと、そこには明らかに高級そうな包みの箱と、取っ手のない紙袋が入っていた。 「箱の方はお茶だ。あれのお気に入りでね。君なら味を分かってくれそうだと言っていた。それから、もう一つの包みは紙だよ。魔符作りを再開すると聞いて、お祝い代わりだそうだ」 「……え? 魔符作り再開するの、話したのうちの住人だけなんですけど……誰に聞いたんですか?」  顔をあげて大泉医師の顔を見ると、苦笑いを浮かべている。 「おそらくは、隼人君だろう。割と頻繁にSNSで連絡を取り合っているらしい。すまんな。守秘義務も何もあったもんじゃない」  申し訳なさそうに話す大泉医師に、和臣の笑顔を思い出して、翡翠は思わず吹き出した。 「いいです。知られて困ることじゃないし、隼人だって和臣さんだから話したんですよ。信頼してるんです……っていうか、家族だって、俺が思ってるの知ってるから」  翡翠の笑顔に大泉医師も笑顔になる。 「開けてみてもいいですか?」  訊ねると、大泉医師は片手を差し出して、どうぞ。と、合図をした。  袋を開けると、中には薄いピンク色の和紙が入っていた。材料がなにかまではわからないけれど、微妙に魔昏の匂いがする。  その色に、一瞬翡翠はどきり。と、した。 「……綺麗な色ですね」 「ああ。魔昏帯で生育した桜の木を染料に使っているらしい」  桜。という言葉にも、どきり。と、させられる。 「桜……花びら」  思わず呟いていた。 「いや、花ではなくて、枝を使っているのだそうだよ」  大泉医師の言葉に、翡翠は彼の顔を見てから、もう一度、袋の中身に視線を戻した。それから、ゆっくりとそれを袋の外に出す。  ひらり。  と、何かが舞い落ちた。 「え?」  それは、小さな花びらだった。  どくん。  と、今度は明確に心臓が跳ねる。 「ああ。それは……」  足元に落ちた花びらを手にとって、大泉医師が翡翠の方の差し出す。 「栞。だそうだよ。紙を買ったおまけにつけてくれるのだそうだ」  一瞬、躊躇ってからそれを受け取る。よく見ると、昨日見たものと比べて大きい。栞にするのだから、花びらの大きさでは小さすぎるのだろう。けれど、色合いや雰囲気が昨日の花びらによく似ている。  偶然だろうか。  翡翠は思う。  しかし、あの和臣が、このタイミングで渡してきたそれが、偶然だと思えない。彼は何もかもすべてを見透かしているのではないだろうか。そんな気がしてくる。 「どうかしたのかね?」  花びらを持ったまま固まっている翡翠に、大泉医師が心配そうに声をかけた。 「あ。いえ。お土産、ありがとうございます」  何とかそれだけ答えると、大泉医師は心配そうな顔をしながらも、それ以上詮索はしなかった。 「ああ。そうだ。伝言も預かっているよ。『もし、使い勝手が良くて気に入ったなら、横浜でも同じ紙が買える。住所は紙の入っている袋に印字されているから行ってみろ』だそうだ」  大泉医師の言葉に、袋を裏返すと、そこには横浜ドーム内の住所が書かれていた。ここから、そう遠くはない。と、いうよりも近い。病院前の大通りを南に歩いて1キロもない。十分に歩いていける範囲だ。 「紙屋なんですか?」 「いや、魔符を作るアトリエらしい。ただ、ネットで材料を販売していて、希望があればドーム内の店で現物を見せてくれるのだそうだ」 「魔符の……アトリエ?」  手元の住所と花びらの栞をじっと見つめる。微かな魔昏の残り香はあるけれど、不穏なものは何もない。  ただ、偶然というにはあまりに出来過ぎているタイミングに、首筋の毛がちりちり。と、逆立つような予感とすら呼べない小さな蟠りを感じる翡翠だった。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加