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はなびら 7
鏑木家の5階部分に翡翠の部屋はある。元々は、一青の父親である成願寺国政のために母・緋色が作った部屋だ。5階部分はほかの階の広さの半分もなく、広い1LDKの翡翠の住居以外の部分は屋上になっていた。
だから、今、この階には翡翠と、翡翠が招いた一青しかいない。
「……ふ……んん」
成人男性二人が一緒に入ってもまだ余裕がある特注の浴槽に、誘われるまま二人で浸かった途端、一青の方に引き寄せられて唇を奪われた。最初から、こうなることを予想はしていたし、期待していたから、抵抗なくその口づけを受け入れる。
すぐに一青の舌が咥内に侵入してきて、舌を絡めとられる。否、もしかしたら、絡めているのは自分の方からなのもしれない。と、ぼーっとしてくる頭の中で翡翠は思っていた。
「……ん。んむ」
一青のキスはいつだって、甘い。蜂蜜でも溶けているんじゃないかと思うくらいに甘い。そして、媚薬でも含まれているんじゃないかというくらいにすぐに、夢中になって、何も分からなくなってしまう。
「……は……ぁ」
一青の唇が、思うさま翡翠の咥内を味わって、離れた。
「翡翠。かわいい」
濡れて額に張り付く髪を手で梳いて、一青が囁く。その声も甘い。蕩けてしまいそうだ。
帰って来てから。否。帰る前からずっと、一青は上機嫌だった。あんなことがあって、迷惑をかけて、結局、後日警察に事情を説明しに行かなければいけないことになったにもかかわらず、怒らないどころか、『一緒に行くから心配いらないよ』と、笑ってくれた。
「一青。どうして……怒らない……の?」
背中から包み込むように翡翠を抱く一青の顔を、精一杯首を巡らせて見つめる。
今回は翡翠自身守ってくれる一青に当然伝えるべきことを黙っていたことが悪いことだと分かっていた。それが分かっていて、翡翠は敢えて黙っていたのだ。怒らせてしまっても仕方ないと思っていた分、食事をしている間も、その後お茶を飲みながらみんなと雑談している間も、二人で翡翠の部屋に引っ込んで約束通り一緒に風呂に入って洗いっこしている間も、鼻歌でも歌いそうなほど楽しそうな一青を見ていると不思議でならない。
「怒ってるよ」
一青の腕がぎゅ。と、翡翠を抱く。素肌同士が触れあって、心地いい。
「それは……怒ってる態度じゃない」
ちゅ。と、音を立てて一青の唇が翡翠の首筋に触れる。柔らかくて、少しだけ冷たい感触。そのままそこをぺろり。と、舐められて思わず翡翠は身を竦めた。
「ン……あ」
翡翠の反応に一青が一層微笑みを濃くする。それから、その手がするり。と、腰のあたりを撫でた。
「俺が……覗かれてたから、翡翠自身の手でやめさせたかったんだろ?」
するする。と、一青の手がわき腹や太腿に触れる。焦らすように微かに、柔らかく。じれったくて身を捩ると、さらに強く抱かれて、身動きが取れなくなってしまった。
「……ぁ……そ。だよ」
されるまま身体を弄られて、少しずつ熱が増してくる。けれど肝心な部分には触れてくれなくて、もどかしい。
「どうして?」
やっぱり、一青は本当に怒っているんだろうか。
翡翠は思う。
だから、こんなふうに焦らしてイジメているんだろうか。
「……だって……ぁ。や。……ん。だって……一青。俺のなのに……勝手に。のぞく……か……ら」
もどかしさに瞳の端に涙が溜まる。もっとちゃんとしてほしくて、それしか考えられなくなって、本音を漏らすと、一青がぺろ。と、瞳の端の涙を舌で拭った。
「うん。そ。俺、翡翠のだ。そう思ってくれたこと。一番嬉しい」
少しだけ腕を緩めて、翡翠の顔を覗き込んで一青が言う。
「翡翠はいつも、言いたいこと飲み込む癖があるだろ? 俺のこと束縛するのが悪いことだって思ってる」
一青は翡翠にとっては過ぎた相手だと、翡翠は思っている。だから、一青に好意を寄せている人がいたとしても、不思議ではないし、好意を持っているだけなら文句なんて言えない。
彼が友人だと思っているとしても相手は女性であれ男性であれ、一青に恋愛的な意味で好意を持っていることが少なくない。だからといって、自分のために交友関係を制限させたくもない。
だから、翡翠はたびたび言葉を飲み込む。一青を困らせたくなかった。
「だって……一青は……モテるし。そういうの慣れないと……」
いつか、そんなことで気持ちが揺れなくなる日が来る。と、思う。思いたい。
「だから。そんなの慣れなくていい。翡翠が嫌だったら嫌だって言っていい。全部捨てるのは無理かもしれないけど、付き合い方を変えるし、俺にとって翡翠は一人しかいない伴侶なんだから。大事にさせて?」
優しく優しく囁いて、その手で頬を撫でて、一青が言う。それから、啄むようなキス。
どれだけ大切に思ってもらっているのか、感情を盗み見なくても分かる。愛されているのだと実感できた。
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