はなびら 1

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 隼人と虎鉄が護衛につくことで、翡翠には一定の自由が与えられている。法治国家である以上、いかに国家機関とはいえ魔法庁も翡翠の自由を完全に無視することはできない。もし、無視をして翡翠が亡命を望んだとき、受け入れてくれる国はいくらでもあるのだ。そうさせないために、彼らも譲歩はしている。かと言って、好き勝手に動かれるのは困るのだろう。  翡翠の体調管理の名目で、外出は制限されている。ドームの中、しかもかなり安全な中央エリアの中のみ、護衛付きてようやく外に出ることができるのだ。 「息苦しい?」  翡翠が思わず零してしまった愚痴に隼人が申し訳無さそうに尋ねた。 「息苦しい……」  ぼそり。と、他の人には聞こえないような声で、翡翠は答える。 「ごめんね」   隼人が済まなそうな顔になる。  もちろん。外出が許されないのは、隼人や虎鉄に問題があるからではない。魔法庁からの圧力。と、翡翠自身が、外に出たいと言わないことが、原因だった。  横浜ドームは日本でもかなり治安のいい部類のドームだ。国内有数の教育機関・研究機関があるため、入場するのにも、エリアの移動にも偽造の難しい国民番号カードが必要だし、ドーム内にはスレイヤーの事務所や、ギルドの本部・支部が多い。有事に対処に当たれる人員が多く、アングラギルドの影響がかなり少ないと言える。  黒蛇が翡翠を取り戻そうとしているとして、横浜ドーム内でことを起こそうとするなら、何人もの人員をセキュリティレベルが高いドーム内で動かさないとならなくなる。それに全く気付けないほど魔法庁も愚かではない。なによりも、国内最大のスレイヤーズギルド『黎明月』の本部があるこのドーム内で、あの国内最高位のスレイヤー『石田和臣』の目を欺くことなど、容易ではない。  それでも。だ。  正直にいうなら、翡翠はまだ、怖い。 「『ごめん』はこっちのセリフ」  身体にかかっていた呪いは解けた。しばらくは残っていた影響も今は殆どない。健康状態は回復していっているし、体力も訓練を再開すれば徐々に戻っていくことだろう。  ただ、長い時間をかけて、心に刻まれた呪いは簡単には消えてはくれない。  幼いころからなにをしてもうまく行かない自分の無力さを毎日責められ続け、凡庸だと呪文のように繰り返され、醜いと蔑まれ続け、誰にも顧みられず、逆らえば暴力を持って蹂躙された。翡翠の心は自由を願うことすら罪悪だと感じるように徹底的に躾けられている。そして、そんな小さな願いが踏みにじられるのが、当たり前だと感じるように作り上げられた。  だから、ただ外に出て太陽の光を浴びたい。風を感じたい。背伸びして、大きく空気を吸い込んで、行きたい場所に自分の足で歩いていきたい。そんな些細な願いすら、口にするのが怖い。口にしたら、また、誰かに蹂躙されるのだと無意識に怯える心を自分自身ではどうにもできない。  だから、窮屈な生活は誰のせいでもないと、翡翠はわかっていた。 「隼人にあたるなんて」  隼人と虎鉄が翡翠の護衛についてから、一月ほどの時間が経つていた。最初こそ家に他人がいることに緊張していたけれど、隼人の人懐っこさや、虎鉄の真面目で不器用な優しさに、翡翠もすぐに打ち解けることができた。  とくに、あけすけで、辛辣。それでいて弱っている相手には優しく、人の痛みを理解して寄り添うことができる隼人は翡翠にとっては初めて見る人種で、けれど、どこをとっても好ましい人物だった。呪いで人を遠ざけられた上に、子供の頃から周りの人間との交流を制限されていた翡翠にとって、はじめてできた親しい友人で、最早親友と言っても差し支えない。  だから、つい、隼人には本音が零れてしまう。 「いいんだよ。俺が護ってるのはね。翡翠の身体だけじゃないんだ」  そういって、隼人は翡翠の胸のあたりを指さす。 「ここも護ってるつもり。こっちは、仕事じゃないけどな」  にっこり。と、聖母のような微笑み。それは、思わず見惚れるほど綺麗だった。実際、通り過ぎるおっさんが隼人に見惚れて電柱に横顔を殴打していた。 「だから、翡翠はもっと我儘言っていいんだからね?」  また、翡翠の横にならんで、歩き出して、隼人は言った。  そんなことを言ってくれる友人ができたことが、翡翠には誇らしかった。
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