14人が本棚に入れています
本棚に追加
「こんばんは」
大きなスーツケースを持った月島が、カフェ・ライムライトに姿を見せたのは、春にしては冷える夜だった。
何年かぶりで彼女を見て、思わず眉をひそめそうになるのを堪えた。何とか笑顔を作る。
(確実に何か良くないことがあった……よな、これは)
はっきりとやつれている。
目の下の隈に、ひどい顔色。足取りもおぼつかない。
とどめは今にも泣き出しそうな表情だ。
あの眩しかった彼女が、もう折れてしまいそうなくらい頼りない風情で佇んでいる。
そしてしばらくすると堰を切ったように泣き始めた。
我慢強いのが取り柄と言い、ずっとその通りの頑張りを見せていた彼女に、いったい何が起こったのだろう。
「もし宜しければ……お話、お聞きしましょうか? あなたの差し支えない範囲で」
決して泣かなかった月島の涙。
それを見た時、俺は自分でも思ってもみなかったことを言っていた。
カフェのマスターとして誰かの話を聞いても、自分から問いかけたことはただの一度もなかったのに。
月島は驚いたようだったが、訥々とつらい事情を打ち明けてくれた。
あまりにもひどい裏切りの話だった。
それを聞き、彼女のような人の気持ちにこそ、寄り添いたくなった。俺にできることなどほとんどなくても。
その後の不慮の事故で、人間ではないことを月島に知られてしまった時。そして彼女に魅了が効かないとわかった時。
俺は彼女に取引を持ちかけた。
『俺は彼女の望みを叶え、彼女は俺の秘密を守る』。
自分の今の生活を守りたい気持ちがあったのは間違いない。
ただ、彼女ならこんな取引をしなくても、きっと秘密を喋るようなことはしなかっただろう。
それでもそんな話をしたのは、彼女相手だからこそだった。
失意の底の暗闇に突き落とされた小さな星。
月島風優子という女性を、再び輝く舞台に戻してやりたい。
そうしたいと、何故か強く思ったから。
「……わかりました。『約束』しますね、私。今日のこと、理市さんの秘密、絶対誰にも言いません」
吸血鬼の俺に怯えながらも、彼女は真摯な目で『約束』してくれた。
そこから、全てが始まった。
最初のコメントを投稿しよう!