ママの消えた世界で

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 そんな時、不意に携帯が着信を知らせた。見ると、実家にいる父からだった。 「もしもし」  私は隣りに太一がいるのもお構いなしに電話に出た。 「今一人か?」  唐突に父がそう問いかけてきた。私は逡巡したが、面倒なので一人ということにした。 「お前、母さんのこと覚えてるか?」 「おばあちゃんのこと?」 「いや、お前の母親の方」  え、と私は声を漏らした。母の話を今更父がしてくることに違和を感じてしまった。 「ママのこと?なんでまた今更そんなことを聞くの。覚えてるといえば覚えてるし、覚えてないといえば覚えてないわ。小2までの記憶なんてそんなもんじゃないかしら」  私はぶっきらぼうに答えた。幼少期の記憶は、母がどんな人であるかではなく、母を待つ心細い日々に集約されていた。 「お前にはそろそろ話してもいい頃だと思ってな。今度の休みに合わせて少し出掛けないか」  実家は私の自宅からはけして遠くない場所にある。きっと父が車を出してくれるのだろう。けれど、なんの話をしたいのか皆目見当もつかなかった。 「なに、なんの話をしているの」 「だから、母さんの話だ。……言ったことはなかったが、俺たちは別れてはいないし、今母さんがどこにいるのかもあれからどうしていたのかも全部知っていたんだ」  私は思わず携帯を落としそうになって、両手でぎゅっと支えていた。 「なに……それ」  私の様子がおかしいことに気付いて、太一が心配そうな瞳をこちらに向けていた。私はその瞳を見返すことで、平静を保つことができた。 「お父さんはママの居場所を知っていて、二人はまだ夫婦ってこと?どうして、私に今まで話してくれなかったの」 「悪いな。まだ早いと思ってずっと機会を窺っていたんだが…気付いたらこんなに時が経ってしまった。……お前も誕生日が来れば30歳になるだろ。さすがにいい頃合いだと思ってな」  父はそう言うと、とても言いづらそうに言葉を選んでいるようだった。 「……母さんは、病気だったんだ」  それからの話は、また会ったときにすると言って続けてはくれなかった。私がいくら聞いても、会ったときに話す、の一点張りだった。男は会わないと話の一つもできないのか、と隣りの太一を見ながら思った。太一はまだずっと心配そうな顔でこちらを見ていた。  電話を切ると、太一が先に口を開いた。 「母親、まだ繋がってたんだな。大丈夫か」  珍しく太一は私を本当に心配しているようで頭を撫でてくれた。その手がやけに大きく感じて、太一が男だったのを今更のように実感していた。  太一は大丈夫か、とは聞いたが、何があったんだ、とは聞いてこなかった。そこがやはり太一の好きなところだと思ったのだった。私に話すかどうかの余地をくれているのだ。 「まだ、なにも分からない。今度の休み、お父さんに会ってくるよ。そしたら……ちゃんと話すよ」  話したいと思った。今までずっと人との距離を図ってきたけれど、この人には知ってほしいと思った。できることなら、太一のことももっと知りたいと思った。
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