ママの消えた世界で

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 そうして、一週間はあっという間に過ぎた。父からは”今度の日曜、10時ごろ迎えに行く”という簡素なメッセージが来ただけだった。  その日を迎えるまでに、私がしたことはとくに何もなかった。ただ、母のことをぼんやりと考えていた。あるいは、母を待っていた日々のこと。父と、母の話をしたことがほとんどないことに私は思い至った。子供ながらに聞いてはいけないことのような気がして気持ちに蓋をしていたのだろう。空気を読むのが上手い子です、通信簿にそう書かれていたことがあったことをやはりぼんやり思い出していた。 「早かったな」  9時45分に家を出ると、もうマンションの前には父の車が止まっていたのだった。開口一番に言った父の言葉はそっくりそのまま私の言葉でもあった。 「じっとしてられなくて」  まあ乗れ、と父に言われて助手席に乗り込むと、後部座席にデパートの紙袋が置いてあるのが分かった。 「どこに行くの」  私の目が紙袋にいっているのを確かめてから、父は「母さんのところに」と口走った。私は信じられない思いだった。  父曰く、母は精神を病んでいたのだという話だった。それは産後うつを患って以来続くものだったという。もちろん、私にそんな記憶は残っていなかった。母の思い出は、いつも笑っていた記憶だけだ。  荒れる前に家を出る、ということはしばしばあったのだという。母が母親を休めるように、父はなるべく早く帰るようにしていたのだと話した。家で荒れることはしてはいけない、とぎりぎりの精神状態で母は家にいたらしい。しかし、ついに私に手をあげそうになったことがあったらしい。私にはやはりその記憶はない。けれどそれを機に、本当に離れて暮らした方がいいと本格的に話し合いをしたのだという。その話し合いはどこまでも平行線で、父はなんとか仕事を休んだりもするからと止めては、母がそれでは家のお金はどうするの、やっていけないのよ、どちらにしても、ということになるらしかった。  そしてあの日、どこまでも平行線だった夫婦の関係を母は一方的に終わりにしようと家を出たのだという。父が出したいときに出せるように、離婚届も置かれていたという話だった。けれど、母が頼れる場所など実家しかないことは分かっていた父は、根気よく母の実家に連絡をしては母と話し合いを続けたという。そして、こっそり別居生活がスタートしたらしかった。父はたまに会いに行っていたようだが、私を連れて行くと混乱させてしまうということで、母には近付けさせないようにしたというのが事の顛末だった。
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