ママの消えた世界で

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「ママは、今はどういう状態なの」  すべてを聞き終えてから、私は父にそう聞いた。 「今はもうほとんど快復してるようだよ。とっくに恭子も家を出ているし、育児への責任感に苛まれることもないだろうから、一緒にまた暮らさないかと話してるんだ。罪悪感からか、まだいい返事は貰えてないけどな」  そんなことになっていたなどとは隠されていたのだから私に分かるはずもないのだけれど、衝撃は私を駆け巡っていた。育児というのはそこまで人を追い詰めるものなのだろうか。 「私がママを苦しめていたのね」 「そう思わせたくなくてここまで待ったんだ」  私が溜息のように零した言葉に、父はすかさず言った。 「産むと決めたのは私たち親なんだ。お前が悪いと思うことなんてない。特別手のかかる子供でもなかったし、もしそうだったとしてもやっぱり産むことを選んだ私たちに責任はあるからな。ただ、母さんを責めないでやってほしい。心が弱いからなるんじゃないんだ、精神病というのは。責任感が強いからなるんだよ。そうして、自分で逃げ場を絶ってしまうから追い詰められる。俺が救えなかったのが不甲斐ないだけなんだ」  父はそういうと、唇を強く噛み締めた。父の分かりにくい寡黙さは、ずっと父も思い悩んでいた証だったのだ。人は言われないと本当に何一つ分からないものだなと思った。 「寂しかったのは覚えてるし、周りの目も嫌だったけど、ママを恨んだことはなかったよ」 「……そうか」  父はそれだけ言うと、もう何も言わなかった。私ももう何も口にはできなかった。情報量が多すぎた。だんだんと聞くには込み入った話過ぎたが、一気に聞くには心が追い付かない話だった。追い付かない心を思ってなのか父の運転はいつもよりもとてもゆっくりで、私がそのことに気付けるほどの余裕ができたのは母の家がもうすぐそこだと知らされたときだった。 「母さんには話してある。ただ、恭子が会いたくないというなら今からでもやめることはできるぞ。どうする」  その声音が言外に優しさを伝えてきて、私は思わず泣きたくなった。なぜだか分からない。泣く理由が私にはないのに。 「……会う。ママがどんな風に思って暮らしてきたのか聞きたいし、何より、やっぱり会いたいから」  自然とという言葉が出てきたことに、私はすこし驚く。もう思い出すのも嫌だったはずではなかったか。そう思ったが、それよりもあの頃と変わらぬ思いがまだ心にあったことが嬉しくもあった。まだ、心は死んでいなかったのだ。 「ありがとう」  父がスピードを上げたのが分かった。もう思いを馳せる時間は終わりだということだろう。あとはもう、ぶっつけ本番。母と会ってからしか話は始まらないのだから。
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