ママの消えた世界で

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 ママが私を置いて家を出たのは、私が小2のときだった。ママはその日、今日はハンバーグにしようね、そう言って家を出た。そうして、ついぞ帰ってこなかった。そのことを、私はいくつになっても夢に見ることがある。もういない母のこと。父は、思い悩んでいるのかそうでないのかよく分からない人で、とにかく寡黙に日々を過ごしていた。それまでの父とどこか変わりがあったのかを私は覚えていない。  どうして人はいつでも家族が、友人が、恋人がいつまでもいてくれると思ってしまうのだろう。不可解な問題である。誰もが結局は他人なのだ。自分以外はすべて他人なのだと、どうして分からなかったのだろう。子供なら尚更だ、分からなくても仕方ない。それでも、私は母をただただ恋しく思っていたのだけが心に残っている。  そんな私は友人ができても、恋人ができても、いついなくなっても構わない、という心持ちで人と関わるようになった。それは良く言えば俯瞰して物を見るようになったとも言えるが、心が死んでしまったのだと思う。それは、母を待つ日々の中で。それは、母が来ない日々の中で。 「太一ってさ、私が別れたいって言ったらどうする?」  それは日曜の昼下がりに、ふと思い立って口にした言葉だった。付き合っている理由は、思いのほか楽だから。太一とは趣味や好みがある程度は一致していて、それでいて踏み込みすぎない彼の性格も気に入っていた。あまりずけずけと踏み込んでくる人を私は好まない。人にはそれぞれパーソナルスペースがある。誰しもに踏み込まれたくないスペースが。 「なに、別れたいの?」  あまり驚きもしなければ焦りもせずに太一はそう返してきた。 「いや、今のところそういった思いはないんだけど、もしもよ」  私は太一が微塵も動じないことに一抹の寂しさを感じていた。 「もしも、ね。んー、そうだな。まずは理由を聞く、かな」 「そうか…理由を聞くか」  私は思わず唸る。この男は、踏み込んでこないだけでなく、自分を見せることもあまりない。それも始めのうちは割り切って付き合えて楽だと思っていたのだけれど。 「理由が、明らかに正当でなくとも私がもうやっていけないと思ったから、という理不尽なものだったら?」 「そんなの、理不尽でもなんでもないだろ。どちらかがやっていけないと思えばそこまでだよ、恋人なんて。いや、人間関係全部だな」 「太一はなんでも分かってるのね」 「わからないよ。今も、恭子の心が分からないしな」  茶化すように太一は言って笑った。
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