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対峙
「賢者様!」
「ルーフスさん?!」
ホコリが舞う部屋には探し求めていた人がいた。驚きで見開かれた瞳が向けられる。
他に人がいないのは予想外だったが、壁に開いた穴で賢者様が逃がしてくださったのだとすぐに察した。縛られた手首以外は目立った怪我もない姿に安心する。
緩みそうになる気持ちを引き締める。安心するのは無事に帰ってからだと自分に言い聞かせた。
部屋の中へ入ってすぐ、背中が粟立つ。感じる気配を頼りに剣を構え振り返った。金属同士がぶつかる鈍い音が響く。
「……よく防いだな。お前、王都の騎士か? 何故そんな奴らがこの規模の人攫いに介入する?」
姿を目に入れた瞬間、頭が回る相手だと思った。賢く、腕もたつ。この犯罪集団の中核だろう男は、眼帯で隠していない片目に驚きを浮かべた。
「おい、捕らえてた奴らはどこに消えた?」
「っ」
男の目が壁の穴、そして賢者様に向く。それを遮るように二人の間に体を入れた。すべてを察したのか、ニッと口の端が釣り上がる。
「なるほど、城で飼われてる犬が混ざってたか」
言い切る前に空気が動く。素早く切り込んできた男の剣をさっきと同じように受け止めた。ゾクッと寒気に襲われる。
眼帯の男は無表情ながらも猟奇的な光を目に宿していた。冷たい殺意に肌を刺されながら、違和感を抱く。
男は背丈も腕力もありそうには見えるが、自分や普段接している騎士たちよりは細身だ。なのに外見とは不釣り合いなほど、攻撃が重い。
違和感の正体を探ると、受け止めた剣に目が向いた。また寒気が強くなる。柄に埋め込まれている赤い宝石が怪しく光った気がした。
「そうか、これがいわく付きか」
以前、賢者様が口にしていた、いわく付きの武器。それより前にも噂には聞いたことがあったが、対峙するのは初めてだった。
高揚、恐れ、焦燥が生まれる自分を落ち着かせる。後ろにいる賢者様の存在を感じながら余計な力を抜いた。
「良い経験になった」
「おらぁっ!」
再び剣が振り下ろされる。今度は受け止めずに体を翻した。自分の剣から手を離し、腰を落とす。全力で男に突進し、体ごと吹き飛ばした。
「がっ!」
壁に穴が開き、木片が飛ぶ。男が手にしていた剣は床に落ち、部屋の隅に滑っていった。
男も脱力し、動かない。意識を飛ばしているようだった。
男と武器に警戒しつつ移動する。呆然とする賢者様に近寄った。
「賢者様、ご無事ですか? お怪我はありませんか」
「っ、ルーフスさん……はい、無事です。僕よりルーフスさんこそ、怪我をされたのでは……」
「私はなんともありません。こちら切ってもよろしいですか?」
「あ、はい、ありがとうございます……」
賢者様の返事を聞いてから、取り出した短剣で紐を切る。彼の手首を縛っていた紐はすぐに床に落ちた。
「馬に乗れそうですか? お辛ければ馬車を用意します」
「いえ、怪我もないので平気です。あの、外に逃がした皆さんは……」
「外で保護いたしました。ご安心ください」
「良かった……」
心底ほっとした顔の賢者様に俺は拳を握る。もう少し早く着いていれば。城を出る時にもっと何かできていたら、危険な目にあうこともなかったかもしれない。
王子警衛の騎士に選ばれてもこの程度なのかと、自分の無力さを情けなく思う。
できることなら今ここで、賢者様の体に触れて存在を感じたかった。無事なのだと実感したかった。
他人の自分には許されないことだとわかっているし、自分が安心したいがためにこんな欲を抱くなんて、罪悪感が込み上げる。
「来てくださってありがとうございました……ルーフスさんの姿を見たらもう助かったんだと、とても安心しました」
「っ……予期せぬ事態のなか皆を逃がすなど、さすがでございます」
いつもよりも力の抜けた微笑みを向けられ、体が熱くなる。仕事の達成感とは違う、心からの安堵と喜びが駆け巡った。
無力を嘆くが、ひとまず愛しい人を助けられたことを噛み締める。
部屋に入ってきた騎士たちが気を失っている男を捕縛する。外からの音も呻き声だけになっていた。
もう安全だと判断し、賢者様を馬の元までお連れする。力を貸し馬に乗せると、自分も後ろに跨った。
「え? あの、怪我はないので一人で乗れます。ルーフスさんほどではないですが馬にも慣れてますし」
賢者様の戸惑いが伝わってくる。こんな勝手、許されるはずがないと思いつつ、降りることはできなかった。
「賢者様が嫌でなければ……どうかこのまま、俺を安心させてはくださいませんか。賢者様は無事なのだと、ここにいるのだと、実感させてくださいませんか」
「っ……ルーフスさん……」
こんなこと、賢者様の優しさにつけ込んだ狡いものだ。幻滅されてしまってもしかたない。
抑えがきかない自分に嫌になったが、賢者様は俺に頷きを返してくださった。自分でも呆れるほど安堵する。
「……ではこのままお願いします」
「はい、お任せください」
受け入れてくださったのは賢者様の優しさからのもので、たとえ俺でなくても頷いてくださったのかもしれない。
それでも今は密着する体で存在を感じられることが、どうしようもなく嬉しかった。
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