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好意か尊敬か
「ルーフスさん、殿下がお呼びです」
声をかけると紫色の瞳がこちらに向けられた。表情を変えないまま、鎧を纏った体が動く。
「賢者様……恐れ入ります」
低くどっしりとした声。その声を聞いただけで僕は胸のあたりが浮ついた。
王子との関わりが多い僕は、王子警衛の騎士、ルーフスさんとも顔を合わせることが多い。綺麗な紫の目に短い黒髪、鍛え上げられた大きな体のルーフスさんは、誠実で実直な人だった。僕より歳下なのにいつも落ち着いていて隙がない彼は、王子からも他の騎士からも信頼が厚い。
そんな彼に僕も憧れのような、尊敬のようなものを持っていた。ただ、顔を合わせる機会は多くても話すことは滅多にないから、どうしても緊張してしまう。
「では失礼します」
扉に手をかけるルーフスさんにお辞儀し、足を踏み出す。広い通路を歩き出した。
ルーフスさんともっと話してみたい。あの低く心地良い声をもっと長く聞きたい。そうは思っても、忙しいであろう彼にそれを伝えることはできなかった。
「憧れ、なのかな……」
実力があり、容姿も整っていて誠実な彼に憧れる人は多い。自分もその一人で、彼からみれば大勢のうちの一人――。
無意識に左手を胸に置く。このことを考えると何故かいつも胸のあたりが痛んだ。
「ルーフス、参りました」
「あぁ、来たか。どうだ、ヒロナとは何か話せたか?」
「……やはり殿下の計らいでしたか」
部屋に入った俺に二つの瞳が向けられる。好奇心を隠さない、少年らしい素直な笑みにため息を吐いた。
「賢者様はお忙しい方ですので、巻き込むのは迷惑かと」
「そういった話は聞き飽きたぞ……あのルーフスが他人に興味を持ったのだ、応援したくなるのは当然だろう?」
「興味といっても、すごいお方だと尊敬しているだけで……」
部屋に入る前からある程度予想していた話題を振られ、俺は歯切れが悪くなる。頭には自然と、さっき自分に声をかけた男性の顔が浮かんでいた。
朗らかな微笑みを思い出すと、それだけで胸があたたかくなる。
「それは真か? 己に嘘をついてはいないのか?」
「……」
こちらを窺うように見てくるロズア王子。この方には誤魔化せないと観念する。
個人的なことを訊かれるのは苦手だが、王子が相手だと不快ではない。まだ自分でもよく分かっていない感覚を声に出した。
「……学問にも魔法にも秀でた賢者様は、俺とは違います。剣を握ることしかできない俺が想うなんて、おこがましいですよ」
王子に気づかれたのはいつだったか。賢者様が近くにいると、途端に落ち着きがなくなるのを見抜かれたのが最初だったと思う。
自分でも何がきっかけで、いつからかは分からないが、賢者様に惹かれているのは事実だった。しかし俺とあの人では立場が違う。
国王に進言し、政務官からも信頼が置かれる賢者様は尊ぶべき人で、品格がある。剣ばかり振ってきた俺とは正反対の人だ。
「ルーフスはそのように考えているのか……おこがましいことなどないと思うが、そう考えることも自然なのだろう。好意とは複雑なものなのだな……」
改めて「好意」と口に出されると気恥ずかしさに襲われる。
周りの騎士たちはほとんどが恋愛というものを経験しているらしい。しかし剣の稽古にばかり打ち込んでいた俺には、今まで関わりがなかったことだった。
だから初めての感覚に戸惑い、この感情が恋愛に通じる「好意」なのか人としての「尊敬」なのか、自分でもわからずにいた。
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