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治療
息が苦しい。喉が熱く、痛い。普段全力で走ることなんてないから足をもつれさせながら、必死に走った。城の中、賢者という立場も忘れて走る。とにかく早く、早くと繰り返し足を動かした。
見えた扉に安堵と緊張が生まれる。ノックもせずに扉を開け、部屋に飛び込んだ。
「ルーフスさんの怪我は……!」
「おぉ、ヒロナ、来たか」
慌てて飛び込んできた僕に、やけに落ち着いた声が返る。部屋にいる二人の人物を見て、僕は呆然と立ち尽くした。
「何故、賢者様が……?」
「私が呼んだのだ。ヒロナに傷を診てもらえばすぐに治るだろう?」
「しかし殿下、この程度の傷で賢者様を煩わせるわけには……」
「煩わしいかどうかはヒロナに訊いてみなければわからぬではないか」
椅子に腰掛けているのは、あどけなさが残る少年と、軽装の男性。ロズア王子とルーフスさんだった。肩を上下し息を整える。まだ状況を掴めないまま、二人に近づいた。
「えっと、ルーフスさんが怪我をされたと聞いたのですが……」
「あぁ、診てやってくれないか」
「いえ、この程度の傷、なんてことありません」
怪我の箇所を隠すみたいに体をひねるルーフスさん。そんな彼に王子は不満げに眉根を寄せた。次に、助けを求めるみたいに僕を見る。
「傷の程度が軽くても早く治った方が良いはずです……僕に診せてもらえませんか?」
立ち上がろうとしたルーフスさんを留めるために、大きな体にまた一歩近寄る。
彼だって王子の警衛という仕事のために早く怪我を治すべきだとわかっている。躊躇したようだったけど観念したのか、逞しい左腕が差し出された。
もう医師の処置は済んでいて、肘から手首にかけて包帯が巻かれている。
「どんな傷かお訊きしても? 刃物で負った傷でしょうか」
「……えぇ」
治療のためにどんな傷なのか確かめたかったが、返ってきたのは短い返事だった。まるで知られるのを拒絶するみたいな反応に、胸のあたりが痛む。
僕が強引に訊いている立場だというのに、いまだにルーフスさんとの間にある一線を突きつけられ、寂しさに襲われた。近付きすぎてしまったことを後悔し、手を握る。
彼から離れようとした瞬間、ため息が聞こえた。
「ルーフスが口にしづらいのなら、私が説明しても良いが」
「……訓練中に、負ったものです。相手の切っ先がかすめました」
「傷を負ったものの見事に勝利したのだから、後ろめたいことなどないだろう」
「訓練中に傷を負うなど当然のことですが、やはり自分の未熟さを痛感し……」
「……訓練中にですか」
当たり前のことだが、刃物で切られたら痛いし、出血する。きっと僕だったら体が傷ついたショックで、ルーフスさんのようにはいられない。
傷つき、痛みに襲われることが当たり前。ルーフスさんたち騎士は、王家、国、民、僕たちのために痛みに耐えている。
改めて凄い人だと思った。彼の痛みを少しでも和らげたい。自然と包帯に手を重ねた。
「失礼します」
包帯の下にある傷に意識を集中させる。魔力を手のひらに集め、傷に染み込んでいく様子をイメージする。
治療のためとはいえ、ルーフスさんに触れるのは緊張し、胸が高鳴った。どうか彼の痛みが取れるよう、これから先も痛みに襲われることが少なく済むように想いを込める。
ぼうっと淡い光が灯ったかと思えば、すぐに消えた。
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