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『それでは六花さん。早速歌を聴かせてください』
その文章を目にすると、一気にスイッチが入った。
余計な会話はいらない。
私はサイリさんの曲を歌いに来たのだ。
ここまでしっかりとした設備があるということは、業界関係者の可能性が高い。
格好のアピールの場……サイリさんから準備を促され、軽く発声する。
サイリさんがピアノを弾きながら、声出しの練習に付き合ってくれた。
「準備オッケーです。宜しくお願いします」
準備万端の合図を送る。
サイリさんはニコッと眉を垂らして、そして鍵盤の上に指を置いた。
今回はサイリさんのピアノに合わせて歌う。
新曲はピアノとヴォーカルのみで成立している、切なくて儚い曲だ。
昨日から散々、練習している曲。
自分の奥底に眠る、切なく苦しい部分を声にのせて、感情を吹き込むようにして歌った。
約四分間の物憂げな曲の中に、私の持っている能力は全て注いだつもり。
サイリさんの演奏に絡み合うように、必死に歌い上げた。
ピアノの音が止まると、静寂に包まれる……。
私は無我夢中だった。
サイリさんに食らいつくように歌い、音だけに集中した。
自分にしかない達成感で、泣きそうになってしまう。
サイリさんがパチパチパチと拍手をしながらピアノから立ち、私の前まで駆け寄ってくれる。
スマホを取り出し、フリック入力でさらさらと文を作っていく。
『感動しました。生で聴くと、やはり心惹かれる声をしていますね。表現力も素晴らしいです』
その文を見て、私は今度こそ涙が溢れてきた。
報われるって、こういう瞬間のことを言うのか……私の涙に気づいたサイリさんは、スタジオの隅に設置されてあるデスクからティッシュを持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます」
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