悪質な行為は処分の対象になる。

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悪質な行為は処分の対象になる。

 うつ伏せに倒れた八戸君の傍にしゃがみ込む。最近、教習所で習った救急救命を思い描いた。まずは意識の確認だな。大丈夫か、と拳で肩を思い切りぶん殴る。子種が! と恭子が悲鳴を上げた。 「肩は関係無いだろ。心配するな、意識の確認だよ」  もう一発、皺を目安に全く同じところをぶん殴ると僅かに身を竦ませた。食いしばった歯の隙間から吐息が漏れる。しかし八戸君は無言を貫いた。ふむ、実践してみてわかった。結局意識があるのか無いのかよくわからん。まあいい、次は呼吸の確認だったか? 顎を掴み思い切り握り締める。息はあるな。泡も拭いていない。ただ苦悶の表情を浮かべて股間を押さえている。そして私は八戸君の唇に触れてしまった。汚いのでこいつのシャツで丁重に拭く。どうしよう、と恭子はまだ動揺していた。 「私、彼の将来を奪ったかも! 責任を取らなきゃいけないかな!?」  その言葉に、立ち上がって親友の額を小突く。 「バカ野郎。パニクって軽々な判断を下すんじゃない。好きでもない男に迫られて、股間を蹴り潰したから責任を取って結婚します、なんて私が絶対に認めない。第一、断ったのに迫って来たのは八戸君だろ。恭子、お前、肩を掴まれたって言ったよな。正当防衛に決まっている」 「でも子種が!」 「どんだけ気にしているんだよ。心配するな、自己責任だ。ほら、水でも飲んで少し落ち着け。パニクり過ぎだぜ」  鞄からペットボトルを取り出し渡す。私の水だってのに一気に飲み干しやがった。そして勢い余ってむせている。落ち着け、と強めに背中を叩いた。その間も八戸君はぴくりともしない。 「意識の有無はよくわからん。だが現段階で呼吸はしているし、命に別状は無さそうだ。保健室へ行き看護師さんを呼んで来よう」  そうね、と恭子が両手を握り締める。 「私、呼んで来る!」  飛び出そうとする恭子の肩を掴み、待て、と制止する。 「何!? こうしている間にも子種が壊死しているかも知れないのよ!?」 「何度も言うけど落ち着けってんだよ。テンパったお前が看護師さんに状況を説明出来るか? 私も一緒に行かなきゃ絶対に伝わらないと思う」 「じゃあ葵が行って来て!」 「当事者抜きってわけにもいくまい」 「じゃあ一緒に行くわよ! 二人で呼んでくればいいでしょ!?」 「だが我々二人が揃って外してしまっている間に容体が急変してはまずい。信用出来るサークルメンバーに連絡をして、此処で彼を見守って貰おうじゃないか」  容体急変と聞いて恭子の顔から更に血の気が引く。 「だ、誰がいいかな」 「誰でもいい。サークルメンバー全員に、事情を説明して取り敢えず誰か来てくれって頼もう。うん、そっちは私に任せろ。恭子はまず落ち着きを取り戻せ」  わかった、と深呼吸を繰り返した。しかしさっき気管に水が入ったせいか、時折咳き込んでいる。そんな恭子に、確認だ、と私は切り出した。 「このサークル室で、恭子は八戸君に告白をされた。だけどお前は断った。だが彼に縋られ、肩を掴まれ、怖くなって股間を蹴り上げた。結果、彼は倒れ動かなくなった。あらましはこれでいいな?」  うん、と不安そうに頷く。こっちは即座にスマホを取り出しメッセージアプリを開いた。 『山科葵より緊急連絡。サークル室で八戸君が恭子へ告白した。強引に迫り肩を掴まれたため、身を守るために恭子が八戸君の股間を蹴っ飛ばしたらダウンした。取り敢えず誰か手を貸して下さい。』  送信、と。恭子と八戸君のスマホが震える。メッセージは無事に行き渡ったらしい。総勢三十名弱のサークルメンバー全員に顛末が伝わったわけだ。 「よし、これで誰かしら来てくれるはずだ。到着したら我々が保健室へ行こう」 「わかった。あぁ、早く誰か来て! 八戸君の将来が賭かっているのだから!」  将来ねぇ、と静かに応じる。 「そもそも彼の将来はあまり明るいものにはならないかもな」 「そうよね! やっぱり私、責任を!」 「あぁ、家族計画のことじゃない。もっと社会的な制裁の方さ」  え、と恭子の動きが止まる。当然だろ、と私は肩を竦めた。 「密室で無理矢理女子に迫ったんだ。まずは大学の学則第二十八条、学内における迷惑行為に対する処分に該当する。訓告、停学、退学のいずれかが下るが、今回のケースは恐らく停学か退学だ。状況と行動が悪質過ぎる。そして停学の場合は四年間で大学を卒業出来なくなる。何故なら在籍期間に含まれないから。退学は言わずもがな、追っ払われてさようなら」 「何でそんなこと、知っているのよ」 「私みたいにか弱い乙女は、自分の身を守るために色々頭を使わなきゃならないのさ」 「でも股間を蹴り潰したのは私よ? もし子種を失った上で処分されるなんて事態になったら、ちょっと罰の方が重すぎない?」 「だが大学への報告は免れないのだぜ。何故なら看護師さんを呼んで来なければならないから。そのためには何が起きたのかを説明する必要がある。当然、看護師さんはえらいこっちゃと上に報告するわな。そうして然るべき手順を踏んだ後、彼は処分される。間違いなく、な」  恭子が私の両肩を掴んだ。痛いがな。 「流石にそこまでいくと、私の罪悪感も半端じゃない。看護師さんを呼ぶのはやめましょう」 「だがどうするよ。八戸君はダウンしている最中なんだぜ? 我々素人が動かすのも危なかろう」 「それじゃあ、意識が戻ったら歩けるかどうか訊いてみる。何とかなりそうなら、大学を出たところにタクシーを呼んで、泌尿器科へ付き添うわ」 「男女が一緒に泌尿器科へ行く気かぁ? あらぬ誤解を受けるぞ」 「しょうがないじゃない! 蹴り潰したのは私なんだから!」 「何度も言うが、無理矢理迫って来たのは八戸君の方だろうが。お前は優し過ぎるぜ恭子」 「だって子種が!」
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