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「ありす〜、そろそろ帰ろ〜」
幼稚園の帰り、近くの公園で友だちと遊んでから帰るのがありすの日課だ。そして、ありすの日課というのをスケープゴートに、その時間に私は彼との逢瀬を重ねる。
逢瀬なんて大層な表現を使ったが、公園で会う時の私と彼はいたってプラトニックである。毎日、幼稚園のお迎えの後、この公園に寄って子ども同士を遊ばせる間、本や映画の話から、お互いの家庭の悩みなどを話す。ただそれだけの関係である。公園で会う時は…….だ。
私の夫は銀行員で、堅実で真面目がスーツを着ているような人だ。融通が効かず、ギャグセンスは一欠片もないけれど、不満があるわけではない。それでもこうして、彼との逢瀬に心が躍り、幸せを感じるのは、心のどこかで夫に物足りなさを感じているからなのだろう。
彼はIT関連の仕事をしていて、基本的に在宅ワークらしい。もっとも、奥様が早くに亡くなったらしく、お子さんのために今の在宅ワークがメインの仕事に転職したらしい。
ありすが彼のお子さんと仲良くなったのは、今年になってから。それまでは、ああお父さんが迎えにきているんだな、くらいの認識だった。それが、今や彼とこんな関係になるとは、私自身が驚いている。
「え〜、もっとあそびたい〜」
ありすがいつものように駄々をこねる。そうよ、もっと駄々をこねて。私は仕方なさそうに、「あと5分だけよ」と声をかける。ごくごく自然に私は彼との逢瀬を5分延長できるのだ。
「コロコロコロコロまわるよしゃりん
ガタゴトガタゴトはしるよでんしゃ🎵」
手を繋いでの帰り道。ありすが楽しそうに歌をうたっている。
「初めて聴くお歌だね。いつ習ったの?」
「んーとね、さっき。しーちゃんが教えてくれたの」
しーちゃんというのは、彼のお子さんの名前だ。名前といえば、私は彼の名前を知らない。名前だけでなく、年齢も知らない。でもそれでいい、しーちゃんパパ。私にとっての彼の名前はそれでいいのだ。
「コロコロコロコロ🎵」
楽しそうに歌うありすと一緒に、私はマンションのオートロックを解除し、エレベーターに乗って帰宅した。
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