歌う妖精と高い塔

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歌う妖精と高い塔

 西の森には、歌を歌う精霊がいた。  人間の子供みたいな背丈で、草色の瞳に髪は桃色。足は鳥のような形をしていて、耳が良く警戒心も強く、不審な物音が聞こえればたちまち、背中に生えた翼で飛び立ってしまう。そんな臆病な精霊だった。  昔は森のそこかしこにいたらしいが、その見た目の可愛らしさから乱獲が繰り返され、今はもう絶滅させてしまったのだろうと言われていた。そんな精霊を必死に探しだし、守り、育て続けてきた心優しい青年がいた。  兄だ。  怪我をした精霊を見つけたとき、その番の片割れに襲われ、片眼を失ったと聞いた。それでも必死に治療を施し、彼らの卵を一緒になって大事に育てた。兄はそのため数年ほど家に帰らない日々もあったが、その努力の甲斐あって西の森は、少ないものの精霊の住処としての姿を取り戻していった。  俺は自分が生まれたときにはすでに家にいなかった、兄の態度を初めは嫌っていた。「家族より精霊をとるんだ」と。右目の怪我を見たときも、そんな目に遭ってまで精霊を守るのかと不満でいっぱいだった。  そんな態度を見かねた兄は、小さい俺を森に連れて行ってくれた。何度も精霊夫婦を説得してくれたらしく、ようやく叶ったその日に俺は、兄が守ったという卵から孵った、自分と同じ年齢の精霊の子に出会った。  同じ歳と聞いたときには驚いた。そいつは小さくてふにゃふにゃしていて、転んだら二度と立ち上がれなさそうなほどか弱かった。兄に守ってやって、と言われ肩をぽんと叩かれたその日、彼の手を取って一緒に歩いたその日に俺は、たぶん自分もこの精霊と共に生きていくんだと感じていた。  そんな西の森にまたも人の手がかかったのは、病に伏せていた王様が亡くなった翌年のことだった。まだ若く新しい王様は、西の森に兵をやり、精霊を根こそぎ捕まえたのだ。一度は絶滅しかけた精霊にそんな凶行を強いたのは、その若い王様が「精霊が民を理想郷へ導いてくれる」と信じて疑わなかったからだった。民は半信半疑だったが、さりとて西の森を守る道理もなかったので、その乱心に興味を示さなかった。  ……。  精霊の歌は理想郷への道しるべだと、王様に教えたのも兄だった。  兄は心通わせた精霊の夫婦に一度だけ、彼らの故郷へ連れて行ってもらったことがあるらしい。美しい自然に囲まれたそこは、彼らの歌が鍵となり門番となって、彼らの故郷を守っていたという。枯れた森に徐々に精霊が戻ってきたのは、この故郷からやって来た者たちもいるのだそうだ。  人が足を踏み入れることすらはばかられる、幻のような世界。兄はこの世のものとは思えないその光景に、心奪われたと話していた。  精霊は怖くない、だから傷つけないでほしいという願いと共に、仲良くしてほしいという祈りもそこには込められていた。俺を森へ連れて行ったときと同じように、この国にも兄は縋ったのだ。自分のことなどなりふり構わず、ただ精霊たちのことはそっとしておいてやってほしいと。  その話を王と一緒になって聞いていたのは、まだ子供だった頃の若い王様だ。精霊の美しい歌に魅了された兄は、森と国の和平を願って、幼い彼にもそんな話をしたのだろうと思う。だが現実は、そう上手くはいかなかった。兵を止めようとした兄は、反逆者と呼ばれ処刑された。  根こそぎ捕らえた精霊に、王様は歌を歌わせようと躍起になった。歌わぬ者は翼をもぎ、脚を折り、背中の傷口を火で炙って脅し、理想郷への道を吐かせようとした。けれど精霊は誰一人、王様のために歌うことはなかった。ついに精霊たちは、国の地下牢で残らず息絶えてしまったと聞いた。 「お前の兄は嘘をついた。歌う精霊など森にはいなかった」  兄の功績を踏みにじられた挙げ句、嘘つきのレッテルを貼られた俺は国から逃げ出した。兄のいなくなった国では生きていく気になれず、せめてあの森にお詫びをしてから、どこかでくたばってやろうと思っていた。焼け野原のようになった灰の森の中で、あの夫婦と兄が大切に守っていた子供の精霊だけが、静かに泣いていた。 「ペンタス」  名前を呼ぶと目が合った。くりくりとした丸くて可愛らしい瞳は、涙で濡れて揺らめいている。兄に連れられ森へ来る度、幼い頃は彼とよく一緒になって遊んだものだった。互いに家族を失った者同士、肩を寄せ合うのにそう時間はかからなかった。 「どうして皆連れて行かれたの」 「君たちに、歌を歌わせようとしていたんだ」 「何のために」 「……王様は、君たちの故郷に行きたかったらしい」  この森で生まれ、この森で育った彼に故郷という言葉は、あまりぴんとくる話ではなかったらしい。興味なさそうに返事をしてから、また彼はさめざめと涙を流した。俺は、灰を被ってくすんでしまった桃色の髪を撫でながら、彼に一つだけ、協力してほしいと頼んだ。 「俺の兄さんは、君たちの味方だった」 「知ってる」 「……俺も、味方だ」 「うん」 「……信じてくれるなら、一つ、お願いがあるんだ」 「何……?」 「俺のために、歌ってほしい」  涙を止め、顔を上げたペンタスと共に俺は立ち上がった。  森に種を植え、水を撒きながら俺たちは炭の上で歌の練習をした。何度も改良を重ね、王様が聞き惚れるような歌を。家族を弔う歌も歌った。森の復興を祈る歌も歌った。そのうちに、森で歌を聞いたと噂が広まったようで、国から兵が一人やって来た。精霊を寄越せと凄む兵に、俺はこう伝えてやる。 「精霊は、心を開いた者のためにしか歌いません。武力行使しようものなら、たちまちこの歌は失われることでしょう」  兵は困り果てたので、国に帰って王様にこの伝言を伝えてもらうことになった。程なくして、国からの伝令で今度は俺たちが城へ呼びだされることとなった。 「歌を歌う精霊を連れてきたというのは、本当か」 「はい、ここに」 「俺の前で歌わせてみせよ」  もう若い王様とは呼ばれなくなった王は、古びた玉座の上で俺たちを見下ろしそう言った。そんなに歳はとっていないはずなのに、顔の皺は気難しそうな老人を思わせる。俺もペンタスも、ぎゅっと痛くなる心臓を押さえながら一礼して、彼は用意された舞台に上がった。息を小さく吐いてから、胸を張って彼は歌う。 はるか 理想郷 天の上 雲を上れば 夢を見る 星を上れば 豊かさ実る 月を上れば 天上の人  歌い終えたペンタスは、堂々とした顔で王を見つめた。俺も表情を崩さないよう、口を横一文字にしてそっと王の方を窺い見る。王はと言えば、ようやく見つけた手がかりを前に、興奮に打ち震えているようだった。揺るんだ口元を手で押さえ、振り上げた手で兵を動かしていく。  俺たちはと言えば、用は済んだと言わんばかりに城から解放され、またあの森へと帰った。芽の出てきた庭の子たちに別れを告げ、少ない荷物で身支度を調え旅に出るために。 「ところで、さ。あんな歌で本当に騙されてくれるかな」 「信じるだろうなあ、あの様子じゃ」 「旅は、本当に出なきゃダメ?」 「ペンタス、君の仲間はこの森以外にもいたんだ。きっとどこかにいる。探さなきゃ、皆のためにも」  そういうと、少し寂しそうに家を撫でてからペンタスは頷いた。  もちろんあの歌はデタラメだ。俺の考えが正しければ、あの歌で王は破滅する。いわば滅びの歌だ。精霊の故郷に帰るには、故郷への道を開く扉の前で、鍵となる歌を歌わなければいけない。兄の話が正しければ、歌を歌ったところで理想郷が現れるわけではないのだ。  そのデタラメを仕組んだのは、兄と森を奪ったことへの復讐だ。彼を巻き込んでしまったのは申し訳なかったが、ペンタスは君の好きなように、と言ってくれた。俺は彼のおかげで、心を救われてしまった。あとはあの王は、自分の浅はかな行動で、勝手に自滅でもなんでもすればいい。  俺は最後の贖罪として、ペンタスを故郷へ帰すための旅に出た。もう人間に、苦しめられることのないように。この世界のどこかにいるはずの、精霊の仲間を探すために。  旅に出てから程なくして、あの国は高い塔を建てようと必死になって資材や人手を集めていると、行く先々で耳にした。そのうちに、離れた街からでもその建築の様子が見えるほどにまでなった。本当に雲にまで届きそうな、細長い建物のシルエットに背を向けながら僕らは歩き続ける。 「あんなひょろひょろした建物で、大丈夫かな」 「大丈夫じゃないだろうな。今に崩れて壊れるに違いない」 「可哀想、あんなのを作らされてる人たちが」 「あの王についていくと決めたのなら、そこからは自己責任だ」  塔の噂はすぐに広まり、僕らの旅路を追い越すように聞こえてきた。  あの塔はもう資材がないから、労働に倒れた民の死体を埋め立てて積み上がっているだとか。土台が沈下して、どれだけ上で工事をしても高さが変わっていないとか、大きな鳥がぶつかって、今まさに崩れ落ちている最中だという噂も聞いた。誰も見向きもしない、道化の王とそれに踊らされる国だと。ペンタスにとってはもう、どうでもいい話だった。 「あの人たちがどうなったって、家族も友だちも、帰ってくることはないからね」 「……そうだな」 「だから、僕たちは生きなきゃいけない。僕の仲間を見つけ出して、幸せに生きなきゃ」 「……俺も?」 「うん、もちろん」  他を蹂躙してまで手に入れたかった理想郷を追うために、今もまだ色んなものを犠牲にしながら塔は育っていく。少しでも立ち止まって、俺たちがどんな感情で歌ったのかを考えてくれれば、バカなことをしていたと気づけただろうに。  何も分からないなら、その足場が崩れるまでせいぜいあがいていれば良い。俺たちの復讐はここまでだ。  それからも俺たちはずっと旅を続けた。ペンタスの仲間が見つかるまで。あの塔が見えなくなるまで。
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