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飲み込むべきだった言葉
時折、ひどい自己嫌悪に襲われることがある。この感情には波があって、大丈夫な時は本当になんともないのだが、ひとたび襲われると必死の抵抗も虚しくあっという間に心をめちゃくちゃにされてしまう。
心がめちゃくちゃになると、そのめちゃくちゃを外に吐き出したくなるのだが、SNSは実に都合の良いツールだ。
自分の駄目なところ、ダサいところ、持っていないものにばかり注目して、いかに自分が無価値な人間であるかについて一生懸命考えて、自虐という形でそれをSNSに吐き出してしまうのだ。
しかし最近になって、私は自己嫌悪を吐き出すことによって己の責任を軽くしようとしているのではないかと感じるようになった。露悪的になることで「助かろうとしている」。そんなことで助かってはいけないのに。
自虐をすると、自己嫌悪を吐き出すと、かなりスッキリする。ちょっと助かる。そして後々後悔する。飲み込むべきだったかも。同じような立場の誰かを傷付けたかもという不安と恥ずかしさでいっぱいになる。そうなることがわかっていながら、定期的に吐き出す羽目になる。飲み込んだままだとどうにかなってしまいそうなのだ。ネガティブな感情は、自分の中だけにある状態の時に一番威力を発揮すると思う。
今の私のSNSには鍵が掛かっているけれど、それだって安心するべきじゃない。指摘こそされないものの、実際フォロワーたちからどう思われているかはわからないのだ。
自虐というのは本当にたちの悪いもので、どんな攻撃的な言葉を吐いてもそれが自虐であればちょっと許されるところがある。
今日もXでそんなポストを見かけた。とある属性の人を豊かな語彙力を用いて散々こき下ろした挙げ句、後から引用で「この話は自分のことだ。本当に助けて欲しい」と自虐の方向に持って行った人がいた。そのアレンジによって彼は、ちょっと許されていた。
私はその様子を見て、彼は自分の発言に対する責任を軽くしようとしたのではないかと思ってしまったのと同時に、自分も同じようなことをしていないかと急に恐ろしくなった。
当たり前だが、「ひどいこと言っちゃったけど、これは自分に対してだもん」は全然言い訳にならないのだ。でもその当たり前が度々頭から抜け落ちる。自虐人間は遅かれ早かれ他人にもそういう言葉を向けるようになるに違いないし……(まあ彼の場合ははじめから他人を攻撃したいという意図があったのではと思うが)
すべては自信のなさや不安、自分を許せないという感情、もしくは過去のトラウマから来ているのだと思う。私はある時から自分に自信がなくなってしまったし、些細なことでいちいち不安がってしまう。一人で知らない店に入るのが怖いのもそのためだろう。時折自分の存在そのものが恥ずかしくてたまらなくなることがある。そして自虐を吐き出す。理想に近づくことができれば、私はそれをやめらるだろうか。あるいは努力不足な自分を許せれば、過去のトラウマを払拭できれば、あるいは……
考え始めるとキリがない。ぐるぐるぐるぐると同じところを行ったり来たりしてしまう。そうだ。こういう時はもう寝てしまうのがいい。まだ21時だけど、おやすみなさい。
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