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便利な言葉?
「こういう人は自他の境界が曖昧だ」という旨の呟きを、ここ数ヶ月の間に何件目にしただろうか。いやここ数年かもしれない。なんだかやけにカジュアルに広まってしまった気がしてならない。
自他の境界(バウンダリー)とは心理学用語で、自分と他人は違うものであると区別する境界線であり、この境界線が曖昧になると依存関係に陥ったり周囲の人間とトラブルを起こしやすくなったりするという認識をしているのだが、この認識で合っているだろうか? 思考の境界や身体の境界など様々な種類の境界があるだろう。
SNSでこの言葉が頻繁に使用されはじめ、世の中に向けて注意喚起を呼びかける人が増えたように思う。その前は「認知の歪み」という言葉をよく目にした記憶がある。(今もまだ頻繁に使われてはいるのだが)
それ自体は良いとして、そういった用語を素人がカジュアルに使ってしまって良いものかとモヤモヤしてしまう。以前私は自分の至らなさについて軽率に「自他の境界が曖昧」という言葉を用いてXで呟いたことがあったのだが、ちゃんと心理学を学んだわけでもない私が憶測だけでそのような言葉を使って良いものだろうか? そういった気持ちで使われた「自他の境界が曖昧」という言葉はどんどん意味が歪んでいきはしないかと心配になったのだ。正直言って、便利な言葉である。あらゆる説明が省けてしまう。そうであってはならないのに。私はこの言葉を使うだけで、何かわかったような気になっていたのだ。使うなら、もっと知らなければならなかった。よくわからないのなら、軽率に使ってはならなかった。
他の人の呟きを見ていても、どうも単なる非難や悪口として機能していることもあり、「ああ、この言葉もこうなっていくのか……」と思った。
「この言葉も」というのは、他にも悪口になった言葉を知っているからで……
それが「境界知能」である。境界知能とはIQが71以上85未満の知的障害の診断が出ていない人を差す言葉だ。IQが平均以下であり日常生活において困難なこともあるが、知的障害ではないために支援が受けられない。
この言葉を気に入らない相手に向けて悪口として使う人間をよく見かける。リアルの世界ではまだ会ったことはないが、SNS上では多い。純粋に情報が知りたくて検索した時に出てきた悪口は心臓に悪い。当事者としては。
文字数がかさむので詳細は省くが、私には知能の偏りがある。IQも平均以下だ。視覚情報の処理力やワーキングメモリが優位に弱く、処理速度も低い。平均的だったのは言語理解の能力だけ。新卒で入った会社で先輩から「あなたはおかしい」と指摘を受け、病院に行き検査を受けた。以来、私は自分のIQがコンプレックスだ。なので、普段は隠そうと頑張っている。打ち明けたのもここがはじめてだ。
話がまとまらなくなってきた。つまり……人の抱える心理的な問題や生まれ持った特性に名前が付き、研究が進み、理解が深まるのは良いことだが、その一方で気に入らない人間を非難するためのお手軽便利ワードとして機能してしまっている側面もあり、それは良くないなあと思っている、という話である。こんなに長々と書かなくても、Xの140文字で事足りたかもしれない。こんな話をして申し訳ない。エッセイとしては少々場違いだったかもしれない。
次回はコーヒーのどうでもいい自分語りをするのでよろしくお願いします。
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