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よかった。なんでもないふりして普通に話せてる。
郁哉もきっと気付いてない。
消防学校の同期の女の子に偶然会っただけなのに、嫉妬みたいにもやもやしてるなんて、郁哉に知られるのは嫌だ。
「今週の土曜日、何人かで集まってカラオケでも行こうってなって。さっき佐久間が言ってたのはその話。」
「すっかりみんなと仲良くなってるんだね。」
「うん。しんどい時もあるけど、同志がいるから頑張れてるってのもあるかな。」
「そっか。」
学校のことを語る時の郁哉は、いつも生き生きしている。
辛い時は頼ってと言ったけど、それ以降も郁哉は一切弱音を吐かないし、辛いなんてことも言ってこない。
消防学校での訓練と生活は、自分の将来のために課せられた当たり前のものと受け入れてるから、郁哉にとっては辛いものでもなんでもないのかもしれない。
そんな郁哉がどんなふうに消防学校で過ごしているか、あたしは見ることができないから、佐久間さんが羨ましいと思った。
こんな状態で映画なんて集中できるのかな。
せっかくの映画デートなのに。
そんなことを思ってい矢先に、館内が暗くなって上映が始まる。
本編開始前に流れるいくつかの予告映像が終わった頃。
あたしの左手が、そっと郁哉の手によって握られた。
「…っ、」
郁哉はいつもみたいな感覚で握ったのかもしれない。
けれど、もやもやしている今のあたしには、郁哉のその行為が心の奥を見透かして「心配しないで」と言われてるみたいだった。
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