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終末送信局
しゃがれた声が、静かな室内に繰り返される。意味が無いと分かっていても、聞き逃したくはなかった。
「今日は、朝から小鳥が鳴いていました。お父さんと、散歩に行くと、桜がひらひら、ひらひら、舞っていて、それはもう、綺麗で。綺麗だねと、お父さんが笑って、ご機嫌に日本酒を、睦月のところのね、その、日本酒を開けたりなんかして。叱ってもきかないものですから。向かいから歩いてきた親子のね、こーんなちいさい、もう、膝くらいの、こんなおばあちゃんの膝ですって。そんなに小さくはないか。まあ、とにかくですよ。小さい子がね、指さして、ぱぱとおそろい~だなんて言うもんですから、隣のお父さんが顔まーっかにして、かわいそうにね。しっかりしてらっしゃる方だったわぁ。若い頃のお父さんみたい。ねえ、とにかく、今日はね、朝から小鳥も鳴いていてね。ひらひら、ひらひら、舞っていて、それはもう綺麗だったのですよ」
なるべく、一言一句違わないように、パソコンに打ち込んでいく。タイピングが早くてよかった。年寄りの声は滑舌も曖昧で、機械は上手に聞き取ってくれないのだ。
「桜は、宙にも咲いていますかね。私の父はね、自分で言うのもなんですけど、優秀でねえ。なぁんで、私なんかが生まれたのか。分からないくらい。宙でもみぃーんなのために、頑張っていて、ほんとう、誇らしいかぎりです。母もね、ものをぴしゃんっ、と言う人ではありましたけども、子どもがすきでねえ。よく、公園なんかでは、よそのおうちの子とも遊んじゃうものだから、嫉妬したものですよ。恥ずかしい」
それから、それから、と次の言葉を探している。深い皺の入った掌を撫でながら、彼女は窓の外を見た。
「親友がいたんですよ。私のこと、恨んでいるかなぁ。恨んでいるかなぁ。ねえ。どうしようもないのに、私は、どうすれば、よかったのでしょうねえ……」
「大丈夫ですよ、きっと」
「そうかしらねえ」
薄っぺらい自分の言葉に辟易しながら、私はパソコンを閉じた。親友の話が始まったら危険信号だ。泣きじゃくって暴れ出してしまうから、急いで話を切り替える。
「それじゃあ、ね、今日のも、お願いしますね」
「はい、もちろんですよ」
セナさんは、杖を着きながらも危なげない足取りで自室に向かう。万が一転けてしまうことがないよう、僕はそのすぐ後ろを歩いた。
この施設で最高齢であるセナさんは、最悪の日の当事者だった。
*
休憩室に入ると、同僚がカップラーメンを啜っていた。
「セナさんのメール書いてたの?」
「うん」
「まじで打ってるんだ?」
「そうだよ」
同僚はたぶん、届かないメールをわざわざ書く理由を知りたいのだろう。
隕石が地球に落ちると言われた日。しかし落ちることはなかった日。最悪の日。
各国の共同制作によって作られたロケットが軌道をズラしたのではなく、増えすぎた人口を地球に向かう隕石とぶつけ相殺させるという、人道に反しているどころでは片付けられないような作戦が決行された日のことだ。
最悪の日から十数年は、地球に残ったあらゆる一般人が真実を知らなかった。真実を知りうる人間が軒並み地球で口を噤んでいたからだ。
確かに生贄はランダムに選ばれた。
そして、選ばれた真実を知るものたちは「希望ある者に未来を託す」と嘯いて、若い世代とその権利を入れ替えたのだ。これが美談になった時代もあったらしい。隕石衝突は何年も前から分かっていたはずなのに、長い間隠されていた。
たった三日では誰もなにも気づけなかったし、どうしようもなかった。十数年経ちようやく、新しい才能たちが真実を明らかにしたのだ。
教科書に出てくるたびに、吐き気を催さずにはいられない。
真実が明らかになる前の十数年。地球に残こされた人々は、宙に旅立った家族とメールのやり取りが許されていた。返信がAIだとも知らずに。
セナさんが、家族と親友にメールを送りたい、と言い始めたのはここ一年のことだ。
僕はセナさんの言葉をゆっくり思い出しながら、同僚に説明する。
「メールに悪いことは書きたくなくて、日常の良いことをたくさん探して過ごしていたんだって。メールが届かないと知って辛くてやめたけど、楽しいことを探す生活は好きだったから、老い先短い今、もう一回やってみたいって、話」
同僚は、分かっているような、分かっていないような顔をした。感情より理屈で考える人だから、わざわざメールにする必要性にピンと来ないのだろう。
僕は、セナさんの気持ちが分かるとは言えないけど、同じ選択をするかもしれないと思った。くだらない話でも、大切な人に伝えたら、思い出なんて名前のきらきらしたものに変身する気がするのだ。たとえ受け取る人がいなくても。
パソコンを開き直す。僕は、僕として、セナさんのメールに返事を打ち込んだ。
そして『送信局』と書かれたフォルダに格納した。ここには僕とセナさんの、一方通行のメールが保存されている。
おわり
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