じいちゃんのラーメン事情

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 俺が幼稚園児や小学校低学年の頃は、夏にはカブトムシや蝉の捕り方を教えてくれたし、俺が泳ぎができるようになったのは、じいちゃんが夏休みに川やプールに連れて行ってくれたからだ。  父さんは転勤族だし海外赴任もあったから、俺は母さんの実家で、じいちゃんとばあちゃんに育ててもらったようなもんだ。  家族みんなでついて行って「帰国子女」なんかいう選択肢はうちにはなかったけど、俺はそれで良かったと思ってる。姉ちゃんは、ちょっと海外生活に憧れてたみたいやったけどな。  じいちゃんはカタカナに弱くて、ついこないだまで、ラップのことを早口言葉やと思うてた。  うちでは、キッチンと言わずに「台所」、ダイニングは「食堂」、リビングは「応接間」と言う。日本人だし、それが当たり前やと思うてた。  じいちゃんは、ラーメンのことをずっと「シナそば」って言うもんね。  俺、 「『シナ』って何。」 て訊いたもん。  だけどじいちゃんは、俺の知らないことをめちゃめちゃ知ってる。それに、意外と器用だ。     俺が子供の頃に遊んだ庭にあるブランコは、じいちゃんがつくったものだ。高校に入ってすぐに怪我したから部活は辞めちゃったけど、バスケのゴールもつくってくれて、それで練習していた。  実はじいちゃんは野球も上手い。あんなにとぼけてるしカタカナが苦手な癖に、野球のルールだけはちゃんと覚えてるんだ。不思議。  そんなじいちゃんが、ラーメンを作ろうとして吹きこぼして慌ててる。家事は、ばあちゃんに任せきりやったからな。 「男子厨房に入らずべし。」 とか何とか言うてたっけ。  それやのに、急に自分でやろうとした。何か思うところがあったんやろう。  でも、やっぱり心配やねんなぁ。また自分でラーメンを作ろうとしたら、今度こそ火傷するかもしれん。  そんなの危なくてしょうがないから、袋麺は俺が作る。じいちゃんは、一人の時にどうしても腹が減ったら、俺が買ってくるカップ麺食べて。  あ、母さんが帰ってきた。 〈一旦おわり〉
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