13.あの日の僕

1/3
前へ
/78ページ
次へ

13.あの日の僕

 ──りっちゃん。ずっと君に会いたかった。  そう言えたらどんなに良かっただろう。  彼女が姿を消してからのことは、わからなかったが、彼女の瞳、纏う空気から、幸福でなかったことは想像がつく。  彼女は僕が『樹くん』だとは気づかなかった。  ただ僕を忘れているだけかもしれない。    けれどあの頃が忌まわしくて、忘れたのだとしたら、僕を思い出すのは心の傷をえぐってしまう。  僕は会社の同僚以上の立場で関わらないと決め、最低限の接触で、遠くから彼女を見守ることにした。  彼女は基本無表情で人を寄せ付けない。そして人と話をする時は逆毛を立てた猫のように怯えている。  しかしそんな状態でも彼女は逃げ出さず、ひとつひとつの仕事を丁寧にこなし、不器用ながらも、彼女なりに人に関わろうと努力しているのは見て取れた。  ただそれは周りには伝わっておらず、社内の評判は芳しいものにはなっていなかったが。    彼女と比べ、僕はまともに人と向き合っていないのに評判だけはいい。  僕は他人に関心がないしどうでもいいと思っている。  無駄なイザコザを避けるため、平等に親切を装い、平等に笑顔でいる。  なんの情もないから冷静に人を観察して、その人が望むいい人を装える。  彼女のように怯えたり傷ついたりする程、他人と関わったことがない。    僕が自分を出さず、人をかわしながら生きている間、彼女は取り繕わず、傷つきながら生きてきたんだと想像ができた。  そんな彼女がいじらしくて胸が締め付けられたが、眩しくすら思えた。  彼女のために何かしたい。  子どもだったあの頃よりも、もっと強く思った。
/78ページ

最初のコメントを投稿しよう!

51人が本棚に入れています
本棚に追加