バンクパニック

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 俺は今、猛烈にパニクっている。  なぜなら、仲間と共に強盗に入った銀行の窓口に初恋の女性がいて、ちょうど担当していた客が5年ほど前に勘当された母親だったからだ。 「強盗だ! 手を上げろ」  という仲間の声に、辺りは騒然としている。親子連れの子どもが泣き出したり、若い女性の叫び声で、正に阿鼻叫喚という感じだったが、銀行内にいる誰よりも俺は心の中で泣き叫んでいた。  迂闊に声を出すこともできない。初恋の女性はともかくとして、母親に関しては声を聞かれたら100パーセントばれる。俺はただその場で、サバイバルナイフを手に持ち、立ち尽くしていた。 「あなた……その声」  母親が急に言葉を発した。俺は一言も声を発していないはずなのに、何故ばれた? 知らず知らずの内に心の声が漏れ出してしまっていたのか、と自問自答していると、母親がつかつかとこちらに向かって歩いてきた。 「おい、お前止まれ!」  仲間の制止する声にお構い無しといった様子で、母親はさらにこちらへと近付いてくる。遂に俺の眼の前までやってきたかと思うと、そのままスルーして仲間の眼の前まで歩み寄っていった。 「お前、何のつもりだ? 止まれって言っただろ!」  仲間の威嚇に母親は微動だにしない。刃渡り20センチのサバイバルナイフを突き付けられても、恐怖心を微塵も感じさせない。 「あなた、5年ほど前にお会いしたわよね? 晶と一緒に」 「5年前?……あっ!!」  仲間が何かを思い出したかのように視線を俺の方に向けると、母親はナイフを持っている仲間の腕を取り、豪快な一本背負いを决めてみせた。俺を含めた周囲の人間は、ポカンとした顔をしている。  母親は仲間を床に押さえ付けたまま、窓口の方に向かって大きな声を発した。 「警察呼んで!」  柔道の有段者で、昔オリンピック選手候補だった母親にとって、銃を持たない格闘技素人を制圧することなど容易だった。  支店長と思われる男性が大きな声で返事をすると、少し焦った様子で電話を掛け始めた。俺は内心、終わったと思った。俺がこのまま母親に立ち向かったところで、仲間と同じ運命になることは目に見えている。仲間は既に絞め落とされたようで、その場でピクリとも動かない。 「晶、あなたなんでしょう?」  母親から呼び掛けられた俺は、一瞬ビクッとしてしまう。それと同時に窓口の方から女性の声が聞こえてきた。 「えっ? 晶なの?」  俺は初恋の女性の言葉を無視して、母親の言葉に返事をした。 「母さん、何で分かったの?」 「馬鹿な子ね。一目見て分かったわ。佇まいや雰囲気が何も変わっていなかったもの。そんな物を被っていても誤魔化せません」 「母さん……ごめん」 「私じゃなく、この銀行の人とお客さんに謝りなさい。何でこんなことをしたの?」 「あいつと一緒に家から逃げてさ、でも二人とももうお金が底を付いちゃって、銀行強盗をやろうって言われた」 「本当に馬鹿な子。仮に私がこの場にいなくてもあなたたちは必ず捕まってたわ。警察に行って罪を償ってきなさい」 「分かったよ。でも少しだけ、小春と話がしたい」  俺がそう言うと、話を聞いていた初恋の女性が近寄ってきた。 「晶がこの街を出ていったって、お母さんから聞いて驚いたわ。一体どうしちゃったの?」 「俺さ、お前のことが好きだったんだ。心の底から。でもそれが報われない想いだってことも知ってた。それを母さんにも父さんにも打ち明けたらさ、折り合いを付けるように言われたんだよ。勿論、それが正しいって頭では分かってた。でも何か、今までの俺の人生の全てが否定された気分になってさ、売り言葉に買い言葉って感じでそのまま家を出ていったんだ。ちなみにあいつは田村だよ」 「えっ? 田村ってあの野球部の田村?」 「そう。あいつは俺のこのおかしな性質を分かった上で、俺と一緒にいてくれたんだ。巻き込んでしまって申し訳ないことしちゃったな」 「そう……だったんだ?」 「小春?」  小春が何処か神妙な面持ちをしている。そして意を決したように言葉を続けた。 「私も晶のことが好きだった。私も報われない想いだってことは理解していた。だけど、一緒にいられるだけで幸せだって自分に言い聞かせてた。そしたら急に晶が家から出ていったって聞いて、頭の中が真っ白になった。高校を卒業して銀行に入行してさ、しばらくしたらあなたのお母さんがお客様としてやってきた。お母さんを通して晶のことを少しだけ感じられて嬉しかった。そして、こんな形だけど再び会うことができて私は本当に嬉しかった」  小春が涙を零しながら想いをぶつけてくれた。小春も俺と同じ気持ちでいてくれたことと、こんな形での再会にも関わらず、俺と会えて嬉しいって言ってくれたことがあまりにも予想外すぎて、俺は声を上げて泣いてしまった。  そんな俺を小春は抱き締めてくれた。そして母親が、俺たち二人を包み込むように抱き締めてくれた。  しばらくすると、外から警察のサイレンの音が聞こえてきた。俺は覚悟を决めて、銀行の入口を眺めていた。 「いい? 晶、警察には今日のことをちゃんと正直に言うのよ。絶対に人生はやり直せるから」  少し強い口調ではあるが、母親は慈愛に満ちた顔で俺のことを見つめている。その言葉に続くように、小春も俺に声を掛けてくれた。 「必ず面会に行くからね。罪を償ったらまた一緒に遊びましょう」  間もなく警察隊が銀行に突入してきた。その先陣を切った男性に俺は見覚えがあった。 「えっ? 父さん?」 「お前、晶か? 何やってるんだよお前」 「父さんの方こそ、呉服屋勤務じゃなかったの?」 「ああ父さんね、晶が出ていってから割とすぐに転職したのよ。警察になったら晶の情報を集めやすいからって。びっくりした?」  母親がほくそ笑みながら新情報を伝えてきた。俺は、この僅か1時間足らずの間に巻き起こる事象があまりにも目まぐるしくて、頭がクラクラしてきた。 「おい晶、久しぶりの父と娘の再会なんだ。マスクを取って可愛い顔を見せろ!」  俺が家を出ていった理由の一端は、この父親にある。俺は物心がついてしばらくしたら、自分の性別に違和感を抱くようになった。ところが、娘大好きな父親は過剰に俺を女の子として可愛がり続けた。その溺愛ぶりにどうにも耐えられなくなって苦言を呈したところ、父親からも母親からも責められていたたまれなくなった。どうやら5年の歳月を経ても、父親は変わっていないようだった。  そんな父親を見て、俺は観念して覆面を取った。5年ぶりに娘の顔を見た父親は、顔をほころばせながら恥ずかしい口調で言葉を続けた。 「可愛い可愛い晶ちゃんっ! 逮捕しちゃうぞ!!」  その場にいた母親以外の全ての人間が、父親を見て石化したかの如く固まってしまった。  
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