序章 業火転生變・一 新免武蔵  1 鹿賀誠治①

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 翌日彼は学校を無断欠席し、近所の顔見知りの家に忍び込んだ。  運悪くそれを見咎められ、そこに住む老夫婦ふたりを彼はあっさりと殺害した。  その理由は〝怒られたくなかった〟それだけである。  その被害者たちは常日頃から彼に善くしてくれていた八十三歳のお爺さんと、七十九歳のお婆さんという年寄りだけのふたり住まい夫婦であった。  小さい頃から二歳年下の妹としょっちゅう遊びに行っては、出されるお菓子を食べたりしていた。  夫婦は彼らの好きなおやつをわざわざ用意し、訪れてくれるのを心待ちにした。  たまには少ない年金の中から、僅かばかりのお小遣いを与えることさえあったようだ。  息子や娘たちと別居している夫婦は、その寂しさからふたりを孫のように可愛がった。  そんな親しい人間を、僅かな金のために殺したのである。 〝あそこに行けばお金がある〟  彼は少年らしい発想で、ただ単純にそう思ったのだ。  いつもお小遣いをくれるときに、お婆さんが寝室にある箪笥の二番目の抽斗から鰐皮のがま口を取り出すのを覚えていたのだ。  それに手を出した。  そして見咎められたから殺した、ほかに理由はない。  ふたりとも誰だか見分けがつかないほど、滅茶苦茶に顔面を破壊されていた。  死体の横には凶器と思しい大きな硝子製の灰皿が、血にまみれて放置してあったらしい。  殺害するにしても、ここまでやる必要があるのかと大人でさえ驚愕する凄惨な犯行だった。  硝子の灰皿を振りかぶった瞬間、少年の身体の奥底で眠っていた〝獣〟が目覚めたのだった。  それが彼の持つ本性だった。  この時点で鹿賀誠治の心には、善悪という基準が欠落してしまった。  完全に精神疾患と言ってよかった。  顔や服に夥しい返り血を付着させたまま、鹿賀誠治はM駅前にあるゲームショップに行き、昨日発売されたばかりの人気ゲームソフトを購入しようとしていたところを補導された。  血まみれの格好の少年に驚いた店員が、警察に通報したのである。  当時この事件は犯人の年齢もあり、ショッキングな見出しで新聞・週間紙・ワイドショーを連日賑わした。  埒も明かない教育評論家だの、精神科医だのといった連中がこれ見よがしに少年の心理を判断し、それを勝手に世間にばらまき飯の種にした。  しかしいつものように、この少年もやがて世間から忘れられた。  このことが切っ掛けで両親は離婚し、家を売り払いどこかへと姿を消した。  噂によると父親は会社を辞め、酒とギャンブルで身を持ち崩しドラッグに溺れ廃人になったという。  母親は小学校五年生の娘と地方都市へと移り住んだが、人並み以上に器量が良いのが裏目に出て質の悪い男に引っかかり、二年後には男の借金のカタに風俗に沈められそのまま行方知れず。  母親似で美しい娘は十四歳でその男の性の餌食になり、いつしか心を病みその男から命じられるがまま身体を売らされ、子どもを孕んだのを機に十七歳の誕生日の前夜、自ら命を絶ったらしい。  彼ら家族のニュースは、誰の目に止まることもなく日常の中に消え去っていった。  どこにでもある平凡な家族がたった五年の間に、ひとりの少年の所謂(いわゆる)心の闇(その言葉でさえ、なんだか陳腐に思われる)のせいで見るも無惨に破滅してしまったのである。  一万六千円、その代償はあまりにも高かった。  鹿賀誠治はそれから三十六歳になるまでの人生の大半を、刑務所内で過ごした。  その後は殺人こそしなかったものの、それ以外のありとあらゆる犯罪を犯しては逮捕され、出所しても三月と経たぬうちに罪を重ね塀の内側へ戻ると言う生活の繰り返しだった。  根っからの犯罪者とは、こんな人間のことであろう。  その間にただの一度も、反省や後悔などと言うものを感じたことはなかった。  そうして彼が三十五歳の時、八回目の出所からわずか九日後に世間を震撼させる大事件を引き起こすことになる。
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