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パニック
瞳は、昔から虫が大嫌いだった。特に夏になるととてもうるさいあれ。
そう。蝉が一番嫌いなのだ。
小さい頃に、田舎に住んでいたこともあって、蝉との遭遇は大層数が多かったのだが、虫は結構平気で手で持てる姉とは違い、瞳にとって虫とは得体のしれぬ生き物だった。
青虫とか毛虫とか、よく車に轢かれている所を見ると、なにやらよくわからないぐちゃぐちゃの塊だ。
両生類は解剖などにも使われるように、胃や腸が判明できる。
それなので、瞳は両生類は触ることもできるし、捕まえることが可能ならばカエルだって持つことはできる。
ただ、どんくさいので瞳につかまってくれる両生類はあまりいない。
でも、昆虫の内臓は、姉がトンボの尻尾に紐を結んでちぎれたときの何か得体のしれない液体みたいなもの。車に轢かれて潰れたもの。しか見たことがなかった。
中でも蝉は羽化する前に7年も土の中にいるというのが、まず怖い。得体が知れないではないか。
そして、のろのろと這い上がってきて、蝉になった後の抜け殻も怖い。何故何年も平気で残っているのだろう。
そして、うっかりすると田舎では大嫌いな蝉が瞳の服にとまっていたりするのだ。
平気な大人たちは、ほほえましいと言った顔で
「ひとみちゃん、素敵なブローチがついてるよ。」
などと言うのだ。
蝉はなぜあんなに固いのだろう。飛んでいる蝉が腕に当たったりすると驚くほど固いのだ。
木に止まって鳴いてくれているうちはまだ良いのだ。
でも、地面にひっくり返って、あの蛇腹状のお腹を上にして転がっている蝉は姿だけでもとても怖い。
でも死にかけの蝉が地面に落ちているのを、踏まない様に気を付けてまたいでいる時にいきなり『ヂヂヂッ』と回り始める蝉爆弾が一番怖かった。
小さい頃に散々蝉爆弾の被害に遭っていた頃は、まだ『キャ~ッ』という余裕があった。またいでいるというのがわかるほど明るいときにしか、外に出なかったからだ。
段々大きくなって、小学校の高学年になる頃には、瞳は、地面に落ちている蝉をまたぐことができなくなった。
死んでいるから。と姉に言われ、何度蝉爆弾の被害に遭っただろう。
姉は
「少しは驚くけどさ、何にもしないじゃん。」
と、平気でいるので、瞳を何度もからかっていたのだ。
「心臓が止まりそうなくらい恐いんだよ。」
と、瞳が言っても
「心臓、止まってないじゃん。」
と、ケラケラ笑うのだ。
でも、田舎なので悲しいかな、季節になると地面に落ちている蝉から逃れることはできない。
通学路にも、お銭湯に行く道にも、かならず蝉が落ちている。
昼間はまだ見えるから良いのだが、元々目が悪い瞳は、お銭湯の帰りなど、暗い道路だと、蝉が見えなくて、何度も恐ろしい思いをしている。
目を凝らして、暗い道を歩ていると地面に横たわる蝉の影が見える。
確実に死んでいれば良いのだが、蝉をまたいだ時、うっかりまだ息のある蝉をまたいでしまうと、蝉爆弾にあうことになる。
本当に心臓が止まるかと思う程驚くのだ。
もう、声も出ない。早く通り過ぎたいのに身体がそこから動かない。
だって、少しでも動いたら蝉爆弾を踏んでしまうかもしれないから。
頭が真っ白になると、良く表現されるが、瞳はまさしくそんな状態になってしまう。
姉は一緒に帰らないと親に叱られるので、
「ちょっと、瞳ちゃん、早くいくよ~。」
と、言うのだが、瞳は動くことができないのだ。
きっと、あれがパニックなのだろうなと大人になった今、思う。
瞳は大人になった今も、蝉爆弾がとても怖い。
緑豊かな場所が好きなので、蝉とは一生縁が切れないだろう。
昔ほど怖くないのは、街灯が明るくなって、蝉が死んでいるかどうかの区別がつきやすくなったから。
少しでも生きている(ようにみえる)蝉のそばは絶対に通らない。
どんなに滑稽に見えても、蝉から一番離れた場所を歩く。
もう一番多感だった頃の様にパニックにはならないが、怖いことには変わりはないのだ。
もっと年をとったら、蝉爆弾で転ばない様に、よくよく気を付けて生きて行かなければならない。
もう、パニックになっている場合ではない。
転んだら、自分が蝉爆弾の様に地面をバタバタと這いずる生活になってしまうかもしれないのだ。
あ~怖い怖い。
【続】
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