第二章・恋の発芽は時期外れ 2ー①

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第二章・恋の発芽は時期外れ 2ー①

『STARGAZER』のライブは、「小さい所で演る」と匠も言っていたが、そこは新しい店構えのライブハウスとしては大きい方だった。 表にはどこから聞き付けてきたのか、昔からのファンと、明らかに今の若いファンとが混在して列をなしている。 それは、10年前よりもファンが増えたのではないかと思う程の盛況ぶりだった。 「凄い人だな」 ライブには来た事がない倉田は、そのあまりの人の多さに面食らっていた。 クソの付く真面目な倉田は、日本のポップスやCMソングすら把握していない音楽音痴ぶりだったが、「兄のライブだ」と言うと喜んで付いてきた。 「ドームでやったりするんだろう?今日は何で小さなホールなんだ?」 「ドームの方は本業の方のアニソンね。こっちは趣味のロックだから……て、倉田には差が分からないと思うよ。とにかく良いと思ったら、拍手でもしてやって」 「音感ないから、ノリノリになれる自信はない」 「不気味だから、ノリノリにならなくて良い」 とは言っても、兄のバンドルはゴリゴリのロックバンドだ。 正実は、深層のお坊ちゃんにとんでもない社会勉強を強いてしまったのではないかと、ほんの少し心配になった。 入り口の受付で名前を言ってくれと言われたので、名を告げると横から美しい女性が出てきた。 ふわりと長い髪を靡かせ、メタルフレームの眼鏡をかけた理知的な美女は、正実と倉田をバーカウンターの横へと誘導する。 タイトなスカートにハイヒールを履いていても、身のこなしの優雅な、清楚な女性だった。 「初めまして。匠さんの弟さんですね。私、マネージャーの、野原沙里奈と申します」 「あ、伺ってます。いつも兄がお世話になってます。我が儘な兄ですから、ご迷惑をかけてませんか?」 「あら、本当。弟さんの方がしっかりしていらっしゃるのね」 沙里奈は、崩壊寸前まで落ちぶれたバンドから、匠を引き抜いた。 そのパフォーマンス力と声量は、絶対にアニメソングに向いていると思った。 当時、沙里奈は大手レコード会社に所属し、アニメ担当だった彼女は上層部に「新作アニメのオープニングに久保田匠をどうか」と推した。 それから、匠は次々とヒットアニメに抜擢されて、アニソン歌手としての地位を確立し、沙里奈も匠にだけ尽くす為に会社を辞めた。 「匠さんは、アニメソングに向いてるとは思ったけど、いつか本当にやりたい事をやらせてあげたかったので、今日のライブは本当に感無量なんです」 見た目、冷たい印象の美女に見えたが、一本芯の通った揺るぎない、包容力のある人なのだと正実は感じた。 この人は、兄を愛している。 それも、見返りを必要としない無償の愛だ。 それは、匠の才能への愛でもあった。 「限界はありますけど、匠さんには何とか出来る範囲で、空いた時間は好きな事をさせてあげようと思って、新しいプロジェクトにも参加して貰っています」 「新しいプロジェクト、ですか?」 「海外の有名なミュージシャンが、自分のバンドのアルバムではなく、ソロアルバムを出す際に、ヴォーカルを担当するというものです。来年発売されるソロアルバムには何件か参加する事が決まっています」 「え?それって例えば、超絶ギタリストと組んだりするって事ですか?」 「はい。海外のアーティストには、日本のアニメやドラコン・スターのファンが多くて、是非一緒に演ってみたいというお返事を何件も頂いています」 「凄い!兄ちゃん!マジでカッコいい!」 「それは是非、本人の前で言ってやって下さいね」 兄の実力ではあるが、彼女が敏腕であったが故の結果でもあるだろう。 本業のアニメソングは残しつつ、裏では海外に向けての仕事をこなす。 「英語で歌いたい」と、ずっと願っていた匠の夢を叶えてやる事は、沙里奈の喜びでもあった。 「沙里奈さん。本当にありがとうございます。これからも、兄を支えてやって下さい」 「至らないところもあるでしょうが、精一杯、尽くさせて頂きます」 「兄が言う事聞かなかったら、俺に言って下さいね。ブン殴りに行きますから!」 「お願いします」 冷たい印象の彼女が笑うと、一気に春が訪れたように華やかな印象に変わる。 兄が落ち着いた理由が、何となく分かるような気がした。
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